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知人の奥さんが亡くなり告別式に参列した。2年数ヵ月の闘病空しく50半ばの逝去。お子さんたちが巣立ち、これから第二の人生が始まるという時だったのに。心残りもあっただろう、ご冥福を祈りたい。
冷たい風に身体を震わせながら読経を聞いていて、思った。人の死はとても悲しい。だけど、これで苦痛・悲しみから逃れられる。残された家族の悲しみは別にして、晴れの門出とも言える。むしろ「良かったですね。おめでとう」と祝ってあげても良いのではないか。対極の結婚式は、これから苦行が始まるのだ。「力落とさないで。皆通る道なのです。頑張って!」と心から哀悼の意を表明しよう。「あ〜、このカップルはこれから苦労が始まるのだ。クワバラクワバラ。俺はもうご免だ。家に帰ったら塩で身を清めよう。」葬式と結婚式は位置づけが真逆だ、なんて不謹慎(?)なことを考えていた。
成仏とは亡くなった方に対しての意味でなく、残された家族の心の整理だ、そうだ。
人から聞いた心温まる話を紹介したい。もし、女房が例えば末期ガンか何かで余命幾ばくかの時、「私、そろそろかな?」と俺に尋ねたとする。「気弱なことを言うな、病気に負けるな」などとは言わないでおこう。「そうかも知れないね」「天国ってあるかしら」「あるさ、あるに決まっている」「どんな所かな?」「そこはね。年中春のような陽気で、暑くも寒くもないんだ。苦痛も悲しみもなく、喜びだけの世界。花が咲きほころび明るい光に満ち溢れているんだ。お父さんもお母さんも居る。可愛がっていた犬も待っているよ」「素敵な所でしょうね。お父さんお母さんにも会いたいな。何だかワクワクしてきたわ」「俺もすぐ行くよ。名所旧跡を調べておいてよ」
「死」を忌み嫌うことなく、素直に正面から受け入れる必要があるのはないか。
俺は、自分が死んだら「とんぼ」に変身すると信じている。とんぼ(大きなオニヤンマ)になった俺はビルの谷間をくぐり、育った町へと飛翔する。何十年と通った勤務先界隈、飲み屋街、学校、喫茶店、新婚当時に居を構えたボロアパート、そして故郷へ飛ぶ。小さい時に遊んだ川、海、山。突然、風景が変わり、アメリカのグランドキャニオンのような褐色土の峡谷を乾いた空気に流され飛んでいる。最早この世に未練はない。さあ、行こう、向こうに見える光を目指して。
俺はその日を、今は楽しみに待っている。 |