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それにしても、人騒がせな親子だ。人を人と思わぬ言動が好きになれなかった。ため口で肩を怒らせて歩く姿は「チンピラ」そのものだった。だけど世間は持て囃した。若い女の子は黄色い声援を上げてアイドル並みの扱い、ある局などは多くの特番を組んで時代のヒーローに祭り上げた。
私は「あんなのが良いのかね」と、受け入れられない自分の感性を逆に疑った。それでも、生き方は個人の自由。私は嫌いだけのこと。
ところが、10月11日のWBC世界フライ級タイトルマッチで状況は一変した。反則を繰り返した亀田大毅にブーイングの嵐。チャンピョンを防衛した内藤大助は一挙に男を上げた。
それにしても、訳の分からない親子だ。後日の謝罪会見も理解しがたい。肝心の亀田大毅は頭を丸めては来たが、俯いて一言も喋らず。師匠でトレナーの父親は謝罪したのかどうか極めて微妙だが、処分には不服の様子だ。あれだけの反則をして、こうなる結果は想定内ではなかったのか?あの反則は偶発ではなく確信だ。
そんな親子を寄ってたかって苛める様相を呈してきた。なんだか可哀相。父子家庭で肩を寄せ合って生きてきたのにな。あの親子の絆は今時珍しい。だけど、そんなの関係ねぇ〜。
一方の内藤大助は終始「爽やか」だ。ある人曰く、彼がスポーツマンだからそうだ。本来スポーツは、相手を敬い、互いを尊重し、技を出し切って精一杯戦い、互いの健闘を讃えあう、ものだそうだ。礼に始まって礼に終わる。勝敗は二の次。だから傍で見ていても「爽快」なのだ。
ルールのないボクシングは喧嘩。が、このルールが胡散臭い。時と場合に因って変化する。例えば、人殺しは違法だけど、戦争になれば殺人は合法。多く殺せば勲章すら貰える。いい加減な人間社会だからこそ、ルールで縛る必要がある。
「俺は弁明しないゼ。だけど今度はルールに則って内藤大助チャンピョンに再度挑戦したい」と、亀田大毅にはあの謝罪会見で正面向いて堂々と宣言して欲しかった。落ち込むことなど必要ない。チンピラでも卑怯者でもいい。若い身空で他人の同情を買うような情けない真似だけは止めて欲しい。潔い挑戦者の姿はそれはそれで美しい。謝罪会見は終息の場でなく、再起の場にすべきだ。私が亀田大毅の親だったら、そう諭したい。
まだまだ間に合う。小賢しく大人の社会に媚を売るより、突っ張る男もいて良い。皆が皆、聖人君子なんて面白くない。
敢えて、亀田大毅君にエールを送りたい。頑張れ!亀田大毅君。18歳くらいで人生を捨てるのは早すぎる!まだまだ、これからだ。私は君のファンになった。このどん底から這い上がってきた時、君は真の人生の「チャンピョン」となる。
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