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裏面の白いコピー紙やチラシが捨てられない。ティッシュで鼻をかむ時、私の子供など3回くらい箱から紙を引っ張り出すけど、私は1枚でしか使えない。頭や身体を洗っている時、シャワーを切らないと落ち着かない。お風呂のお湯はすぐに流さず、万が一の備えにとって置き、翌日の洗濯に使う。汚れで黄ばんだ下着は破れていない限り着続ける。普段着と外出着の区別すら最近は希薄になり10年前の服でも平気。逆に新しい服は汚すのではないかと気を遣い疲れる。乗用車で外車など論外、国産車でも300万円以上の車は、100万円程度のものと比べてハンドルが二つある訳でなし、目的地に早く着く訳でなし無駄だと思う。車は走れば良いのだ。
「勿体ない」と思うのだ。先が短いのだから贅沢をしようと己を言い聞かせても駄目。贅沢をすると落ち着かないのだ。
外国には「勿体ない」という概念はないらしい。環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したケニア出身のワンガリ・マータイさんが来日した時に日本の「勿体ない」を知った。2005年のことだ。以来、世界中で「勿体ない運動」が展開されている。
当方の「勿体ない」は地球には優しいが、外見がみすぼらしくなるのが玉に瑕。いかにも古びた背広を着ている老人を街で見かけることがある。分かる分かる。今さらスーツを新調する必要などない。ならば定年退職時に着ていたもので十分だ。
古ぼけた老人が更に薄汚れて見える。加齢臭にナフタリンの匂いがブレンドされて、周りの若い子はあからさまに鼻をつまむ。
ここで奮発してスーツを新調するのだ。お金など残しても意味がない。上等の生地で仕立てステッキなど手にして磨かれた靴を履き、英国紳士のごとく街を闊歩するのだ。若いときに憧れたアイビールックを思い出そう。先の短い我々はすべてを湯水のように使うのだ。「勿体ない」を捨てよう。
でも、しみったれた生活の方が落ち着く。そもそも勿体ないとケチは違うのかな?いずれにせよ、あ〜疲れる。 |