 |
12月になり、出かける時間を1時間ずらした。4月から9月中旬まで朝5時30分〜9時。9月中旬から朝6時〜9時30分。12月からは朝7時〜10時という時間帯である。これには、ある共通点がある。日の出の少し前に自宅を出るのだ。冬はすでに明るくなっているが、これは温度調節である。変化はまず、景色にある。
夏のうちは朝まだ暗いうちに外へ出る。ひんやりとして涼しく気持ちがよい。20分ほどして東の空が明るくなり、その明るさが街にひろがる。その刻々と変化する光景はどこにいても雄大である。とくに公園の場合は木や葉の色が変化して交響楽が聞こえそうである。住宅街では家庭料理の匂いがほのかに漂ってくる。大根入りのみそ汁、炊き立てのご飯、キムチの匂いもある。
秋になると涼しさが持続して帰路に汗ばむということがない。晩秋をすぎると寒くなるのである。涼しいどころではない。風邪をひきそうだ。健康のために歩いているのに、歩いて病気になったのでは妻に笑われる。着るものも少し厚着にする。冬になったなと実感するのは腹が冷えやすくなることだ。歩いている途中で突然冷え込むとトイレ探しが深刻になる。前にいろいろな避難場所を書いたが、これまでの体験で最も気持ちよくトイレを貸してくれるのは、ガソリンスタンドであった。
交番の場合は、意外にいい顔をされなかった。何度か立ち寄って親しくしていた警察官だったのである。しぶしぶ貸してもらったがドアの外に立って待っているのだ。「中で自殺されたりしても困るので」とオーバーなことをいう。「ここからまっすぐ行ったところに公園があります。そこには公衆トイレがある」というので「知っています。ここから約1キロです」というと彼は反論できなかった。この前は「最近は夜中のパトロールで酔っ払いにからまれる。警察官の不祥事が多いので文句をいいわれる。困ったものです」とぼやいていたのに、トイレくらい気持ちよく貸せよ。といいたい。
秋の朝は、イメージを音楽でいえばシャンソンの「枯葉」か「アランフェス協奏曲」かと思ったが現実は「はげ山の一夜」のような、いそがしさだ。これが冬になると、雪が降らなくても「雪が降る」というシャンソンが似合う街になる。「恋人よ」という歌も似合う。同じ場所でも時間帯が変われば、景色が変わるわけである。
街に陽がのぼると人間の数も多くなり、街の建物も生き物のように息使いする。
ただし冬の季節だけは街に人間性が表われる。商店街の場合は、それが顕著である。あるコンビニは表に大きなゴミ箱を設けている。通勤時間帯は店員が絶えず店の前の舗道のゴミをきれいに掃除する。反対に、ある飲食店では気温0度以下の朝でも表に水をまく。
雪の降った朝は道が変わる。車の通るところは車が雪を払いのける。歩道は商店の前だけ雪が除かれている。商店のないところは泥道、すべりやすいままである。これが空き店舗の場合だと、その外観だけでも寒々しい。大型パチンコ店の前もきれいである。景気のよい店のまわりは美観がある。
続く |