22…パルトロメウス教授
晩秋の午後。叔父パルトロメウス教授の講義が行われた。おさらいの意味を含めての試験前の講義である。講堂が300人を超える生徒であふれていた。通称「バルト」教授は人気があった。他の教授達は「あれは道化者だ」と嘲笑するが、学生たちにはわかりやすい。わかりやすければ、すべて脳裡に入る。
むずかしいことを理解するのが当たり前だという大学の習慣を改革するのでは、と思われるくらいの強烈な印象を与えている。フランツにとっても自慢の叔父であった。「諸君!これから話すことは他言してはならない。みんなの知っている話もするが、知らなかった新しい話もあるのだ。つまり、まだ学会で正式に認められていない話をするわけだから、当然、内緒話である。」
どっと笑い声が沸いた。300人以上の学生が押しかけた場で「内緒話」されるのは楽しい。若者にはたまらない話法であった。「紀元前450年前のことだ。女の薬売りがいた。これを飲めば、体の痛みがなくなる。といって、ある液体を売って回った。この時代は、神がすべてを治療していた。呪文や普通の水で病気を治した(?)時代だから、その液体が何であるか。誰も知らなかった。
ある時、その女が柳の木を勝手に切り取っていた。土地の者が「なぜ柳を採るのだ」と聞くと、女は答えた。「樹液が薬になる」というのだ。土地の顔役は大笑いして「柳は籠をつくるために役に立っている。もう柳を勝手に切り取ってはならん」と女を追い払った。その後、柳の樹液を採る者はいなくなったが、ギリシャのピポクラテスという研究者が、柳の周辺だけは、虫や動物の死骸がないことに気付いた。
そして人間に使ってはどうかと考えた。怪我人に樹液を煮て飲ませると、痛みがうすらぐようになった。いらい柳は薬の木として重宝されるようになり、戦場で、この樹液が使われることが多くなった。商人が目をつけた。その秘法はインドにも伝わった。こうしてピポクラテスは医学の父といわれるようになる。
薬と宗教は別次元だというのが、彼の考え方であり、この考えは世界ではじめてだった。ただし現在の医学に使われているわけではない。科学的な根拠が見出されていないからである。つまり痛み止めの薬は、いまだ発見されていないということである。」(1887年解明され、アスピリンのはじまりとなる。)
一斉に学生の手が上がった。「そこの、一番うしろの君だ。質問は何かね」「痛みをとめるというなら、モルヒネがあります」パルトロメウス教授は、にやりと笑った。「そうだ。ところで・・・モルヒネとは何だろう」
続く
|