
|
NHKの功罪 8
NHKは戦後はじめて大スキャンダルに見舞われた。昭和51年9月のことである。当時の小野吉郎会長が、ロッキード事件で逮捕され保釈中の田中角栄元首相を訪問して大騒ぎになった。マスコミの好餌となり小野会長は辞任。副会長だった坂本朝一氏が会長に就任した。坂本氏はNHKの芸能畑ひとすじ。いわゆる生え抜きである。内部では大歓迎された。それまでは、外部の新聞、経済、官界からの天下りまたは横すべりであった。その坂本氏も2期満了で会長を辞した。
昭和54年度になるとNHKは再び大幅な赤字を生んだ。カラー受信料880円、白黒受信料520円という案を国会に提出した。一律24%の値上げである。この時、郵政省は「受信料支払い義務制」を提案、NHKの「体質改善」を要求した。昭和55年7月。NHKはしぶしぶ組織改革に乗り出した。5年計画で職員を7%減らすというのである。
昭和55年度の職員数は1万6895人。うち女性は1080人であった。これを毎年100人ずつ減らしていく計画であったが、初年度から、この計画はまことに怪しい結果を生むことになった。年間に50人しか減らすことが出来なかったのである。いや、それは「減らす」という計画とはまったく異なる次元の話であった。
ある数字をご紹介しよう。昭和51年=24人。52年=14人。53年=31人。54年=24人。55年=34人。何の数字だと思いますか。これは在職者の死亡者数なのだ。定年退職を加えれば軽く50人を超える数字であった。ことさら減量計画を立てなくとも自然減になる。
いっぽうNHKは昭和34年に2400人を採用していた。30年後には総額300億円の退職金を支払わなくてはならない。昭和57年のNHK職員の平均賃金は19万9800円。プラス各種の手当てがつく。夏は2・5か月、冬は3・5か月のボーナスが出ていた。35歳で大卒の場合、基本給平均は23万5850円。民放にくらべたら下回るものの、福利厚生になると民放をはるかにしのいでいた。
社宅が4千戸ある。3DKで家賃は1万円足らず。入居者の多くは、40代でマイホームを建て、定年までローンを払い終わるといわれていた。しかも局内の職員食堂は街の半額。売店ではローン利用購入が文句なしでOK。テニス、ゴルフ、水泳のできる保養所や運動場も家族連れで大いに利用することができた。もうお気付きかも知れない。NHKは国家公務員と同じレベルの体質を持ち、優雅な環境にあったわけである。そこには親方日の丸的体質がしっかりと、つくりあげられていた。体質改善など真面目に考える世界ではなかったのである。
(続く)
|