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NHKの功罪2
戦後、NHKは日本人の品格を教えてくれた。政府の庇護をうけながら報道の自由をうたい、恵まれた環境の中で肥大化した。歪んでゆく体質を表に出さず、アナウンサーの姿勢の正しさが、NHKの体質をスリムに見せた。
筆者は昭和58年から数年間、NHKに関する取材をしていた。NHKほど不思議な特殊企業はなかった。国営といわれながら社会党(野党)の影響下にあった。赤字になれば国から資金が出た。受信料金も値上げすればよかった。また本体は赤字だといいながら外郭団体企業は黒字だった。この歪んだ構造が生きのびたのは放送番組の魅力だった。放送事業は世論に大きな影響力を持つ。政府は新しい情報技術の開発にNHKの手を借るしかなかった。
政府とNHKは昭和53年4月、実験用の放送衛星を打ち上げた。その予算は230億円だった。昭和59年2月には放送衛星GS2の本機を、翌昭和60年には同衛星予備機を打ち上げた。その費用は約600億円。6割はNHKが負担し4割を政府が負担した。その衛星が軌道に乗ると120万世帯といわれたNHKテレビの難視聴が解消された。ただしこの衛星は5年間しか使えない。5年毎にまた新しい衛星を打ち上げなければならない。
この頃から民放や民放の株主である有力新聞社が、利用枠の獲得でしのぎをけずった。文字多重放送やニューメディアの開発、電話回線利用など、新メディア時代の幕が華々しく開きはじめた時でもある。NHK黄金時代といってよい。
昭和57年3月18日、衆議院逓信委員会で一人の議員が「NHKの受信料値上げの繰り返し、日放労などとの労使癒着について」激しく追及していた。それは野党議員でなく与党である自民党のKT議員であった。当時のNHK会長は坂本朝一氏だった。
(続く)
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