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喜劇が新しい曲がり角を迎えたのは戦後のテレビ普及である。家庭の中に映画館が出来た。しかもNHK以外は無料で視聴できる。電器メーカーは東京オリンピックを自宅で見られると宣伝したが、テレビがリアルタイムのすごさを見せつけたのは、初の日米中継でケネディ米大統領の暗殺現場を中継したことであった。
なにやら昨今のテロ事件を想起させるが、その後は浅間山荘の実況中継が国民をクギ付けにしてテレビの威力を見せつけた。日本はまだ暗い時代であった。
こうした世相の中で新しい笑いが生まれていた。産んだのは笑い芸人ではなかった。無名の楽団員とシナリオライターである。昼の短い時間に「おとなの漫画」という4コマ漫画のようなショートコントが新風を運んだ。次いで音楽番組から産声をあげた。1961年。日本テレビで音楽バラエティ番組「シャボン玉ホリデー」が開始され、クレージーキャッツとザ・ピーナッツがスター街道を突っ走る。バンドマンの植木等はこれで喜劇役者になってしまった。
1965年になると深夜ワイドショーの元祖、11PM(イレブン・ピーエム)が開始された。私達は深夜までテレビを見るようになった。お色気とジョークに満ちあふれた番組であった。それまで日本の劇場やテレビではまったく見ることのなかった挑戦的な試みがあふれていた。いまでも覚えている場面がある。深夜とはいえ、網タイツの美脚をなめまわすカメラ目線がドキドキさせた。その足先にパーンすると次第にクローズアップしてCMの文字が映る。胸から首、唇、煙草の先にCMの文字が映る。映画でもキスシーンはなく、ベッドシーンもなかった。
ところが、まるでキャバレーでも行ったような卑猥な目線の場面がいやらしくなく粋に流れた。女性の美脚を黒タイツ(当時は白黒テレビ)で見せてくれた。いまのアダルト番組をほうふつとさせるものがある。センスにあふれていた。録画なしのぶっつけ本番でこうした演出がふんだんに盛り込まれた。この番組から出た人気者に大橋巨泉がいる。のちに、いまでも「水戸黄門」常連の女忍者で活躍する由美かおるがいる。彼女は西野バレー団のダンサーとして出演していた。まだ少女っぽいまま人気が沸騰して時のスター石原裕次郎と共演映画も撮っている。少女時代に大人の色気で売れたタレントは由美かおるがはじめてである。
いまだに「シャボン玉ホリデー」や「11PM」を超える番組が出来ないのは、それらが、いかに才能のある人たちの作品であったかということだろう。多くのスターを輩出し記録的な長寿番組にした、いま、その才能を引き継ぐテレビマンはいない。それどころか、テレビ番組は安直なバラエティではしゃいでいる。日本には無名作家の面白い小説があるのに売れっ子作家の作品を何度も作りなおす。そして漫画本をドラマ化する傾向が強くなった。その原点が1960年代にはじまっていたわけである。良くも悪くも。いずれにしてもテレビの普及で、お笑いの質が変化した。ハナ肇とクレイジーキャッツは、その最先端で映画にも活躍した。ミュージシャンがコメディアンに。コメディアンが喜劇俳優になった。
(続く)
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