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昭和32年(1957年)といえば、ハナ肇とクレイジーキャッツが、テレビ・デビューした年でもある。テレビはまだ白黒であった。
このコミックバンドのリーダー、ハナ肇も、やはりドラマーであった。クレイジーキャッツはテレビの「シャボン玉ホリデー」にザ・ピーナッツとともにレギュラー出演、スター街道を走ることになる。
はじめは楽器の音を面白く聴かせていたが、次第に面白く視せることに専念するようになった。いつの間にか楽器を持たず、コメディアンに変身していった。高視聴率をあげた大橋巨泉と前田武彦の「ゲバゲバ90分!」ではハナ肇の「あっと驚く為五郎」がバカ受けし当時の流行語にもなった。
ハナ肇は松竹映画でも喜劇役者として主演で数多く出演している。「馬鹿まるだし」「馬鹿が戦車でやってくる」「なつかしい風来坊」「アッと驚く為五郎」など松竹映画「男はつらいよ」シリーズがはじまる前は、ハナ肇が「バカ」を売り物にしていた。所属する渡辺プロダクション(渡辺晋・美佐子夫妻の経営)の大黒柱となり、同社を日本一の芸能プロダクションにした話は有名だ。そのハナ肇も次第にマジな役柄に傾いた。演技派の俳優に転進しなければ、という思いがあったのだろうか。入れ替わるように登場してくる後輩、ザ・ドリフターズの名付け親でもある。多くの伝説を残して平成5年9月10日、63歳で他界した。肝臓ガンであった。
フランキー堺と違うのは、バンド仲間を引き連れて全員をスターにしたことである。そのバンド仲間に植木等がいる。植木等はギタリストである。自らバンドを結成していたが、クラシック声楽を習っている時、フランキー堺に誘われてジャズバンド・シティー・スリッカーズに入る。 そこからハナ肇のクレイジーキャッツに移籍した。
「お呼びでない」のギャグは、録画装置のない当時、本番中に自分の出番ではない場面でうっかり出てしまい、カメラに「あっ、お呼びでない」といって引き込んだ失敗から生まれた。植木等は「無責任男」のシンボルになり、爆発的なスターになった。映画や歌「スーダラ節」は大ヒットした。クレイジーキャッツの映画は主に東宝映画でつくられた。
この時のメンバーで、いまでも俳優として健在なのは谷啓である。終戦直後、アメリカ映画のコメディアン、ダニーケイは人気があった。谷啓という芸名は、このダニーケイがヒントになっている。谷啓はトロンボーン奏者である。谷啓は見かけが派手な植木等より小柄で地味なイメージがあった。ところが「ガチョーン」「ビローン」「ムヒョー」のギャグで一時は植木等をしのぐコメディアンに変身した。
クレイジーキャッツでは、ほかに犬塚弘、安田伸、石橋エータロー、桜井センリがいる。それぞれ、バンドマンであったが個性的な俳優に転進した。テレビドラマの脇役で彼らがさりげなく出ていると、ああ時代が変わったと痛感した。それぞれに役者としてもしっかりした芸をみせてくれるからだ。ただし植木等の場合は、人気タレント時代のイメージが強すぎてマジな役が似合わない。それは最後まで喜劇役者であってほしいという私の願望なのかも知れない。ただのコメディアンではなかったからだ。
(続く)
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