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【投稿連載】

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(2)笑えないぞ!その23『喜劇が消えてゆく(2)』

by イジワル・ジイサン
美空ひばり
ひばりカフェ

美空ひばり主演映画第1作は家城巳代治監督の「悲しき口笛」と誰もが思っている。家族が行方不明の少女という設定をのぞけば、ほとんど実際の姿である。ただし、この映画はいまでも美空ひばりの第1回主演映画といわれているが正確ではない。主演は人気俳優の原保美、津島恵子だった。ひばりは脇役であった。それでも名前の番付けは3番目。しかしポスターはひばりの大写し、あのシルクハットの黒いエンビ服姿であった。

ひばりはこの映画で一躍スターになったのである。その意味で第1作といってよいだろう。松竹映画は「生意気な子供」「児童で金儲けする」など批判的な声のある中で喜劇スターを抱き合わせた。当時、喜劇映画をつくらせたらこの人と折り紙のついた監督がいる。斉藤寅次郎である。彼は喜劇映画の神様といわれた。山田洋次監督の師匠である。のちに映画「男はつらいよ」の主人公「寅次郎」は、この監督の名からとったものだ。

斉藤寅次郎は本格的な美空ひばりの主演映画を数多くつくった最初の監督でもある。まず「美空ひばりのラッキー百万娘」(1949年)に古川ロッパ、横山エンタツ、花菱アチャコ、川田晴久を配した。ロッパ、エンタツ・アチャコは戦前からの人気喜劇役者である。次いで映画「東京キッド」(1950年)の脇役に和製チャップリンといわれたエノケンまで登場した。再びアチャコ・エンタツ、川田晴久などの喜劇人を配した。つまり喜劇黄金時代に、美空ひばりは1流の喜劇役者を脇役にしたのである。美空ひばりが喜劇ブームに拍車をかける役割を果たしていた。こうして「歌と涙と笑い」は松竹映画の看板となった。

斉藤寅次郎監督による代表的な作品は「憧れのハワイ航路」「ハワイ珍道中」「エノケンの法界坊」「ひばり捕り物帳」「東京キッド」「ひばりの捕り物帳・唄祭り八百八町」「珍説・忠臣蔵」といわれる。ひばりに時代劇を体験させたのも斉藤監督である。その後、美空ひばりは「伊豆の踊り子」「リンゴ園の少女」「あの丘越えて」など文芸調の作品にも出るようになった。そして「ひばりの共演者になる男優は必ず一流になる」といわれる。中村錦之助は「ひよどり草紙」で映画初出演、大川橋蔵は「花笠道中」で共演、高倉健も現代劇で共演の栄誉を得ている。つまり美空ひばりは、次第に喜劇映画から離れて、独自の世界をつくりあげていった。

美空ひばりがデビユーして3年後の昭和26年、新しいタイプの喜劇俳優が出現した。森繁久弥である。当時すでに38歳になっていたが彼は知的な喜劇役者の新境地を開いた。早稲田大学を中退して古川ロッパ劇団へ入る。NHKアナウンサー、満州の放送局アナなどを経て敗戦国の憂き目を外地で味わい最後の引き揚げ船で帰国した。いま加藤登紀子が歌っている「知床旅情」は森繁久弥の作詞作曲だ。自らも歌い、戦後初のシンガーソング・ライターでもある。ひばりが喜劇離れしはじめたとき「喜劇」を看板にした東宝映画、森繁久弥の黄金時代もはじまる。


(続く)




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