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愛と死を考えさせられる出来事もある。文学の好材料になる話だといえば不謹慎になるが昔のことなのでご容赦いただきたい。最近では若い男と同棲するお金持ちの女性がいるが老いるということの残酷さを、自分の命を絶つことで完結した悲しい実話である。
本稿のサブタイトル「シニアで愛して」は歌謡曲「死ぬまで愛して」をもじったものだが、じつはこの話を想定している。「シニアで愛して」は「老女になっても愛して」という女の叫びである。記憶力のある方は「そういえば…」と思い出すに違いない。少し脚色する。
昭和53年10月。大阪市阿倍野区。夫に何の不満もない岩井花江さん(仮名)が台所の包丁で、夫の寝静まるのを待って割腹自殺した。それは新聞の片隅に小さく掲載された記事であったが女性誌は飛びついた。
花江さんは北海道室蘭で生まれた。幼い頃、父親と生き別れ、母親の手ひとつで育てられた。生活苦のなかで寂しい青春を過ごした。母親が死に、花江さんは一人、大阪市内の旅館で、仲居として働くようになった。
花江さんは働き者というだけでなく実際の年齢より、はるかに若く見えた。それが幸福と不幸を同時に呼び込んだ。出張でよく旅館に泊まる客がいた。花江さんは、その客、吉本健二さん(仮名)と恋をした。吉本さんは21歳の初々しい青年である。『私は昭和8年生まれの22歳。あなたより一つ年上になるんやわ。それでもええか?』と彼を見つめた。
「かまへん。一つ年上の女は金のわらじを履いても探せというくらいや」と彼は答える。甘い時は容赦なくすぎていった。しかし花江さんは、こうした恋愛関係が長く続くとは思っていなかった。「必ず別れの時が来る」と覚悟しながら幸せな日々をすごした。
健二さんは花江さんと10余年の交際の末、正式に結婚した。結婚届けは花江さんが一切行ない、夫にわからないように気をつけた。うしろめいた気持ちがあるぶん夫に尽くした。「私は年上だから」と年上を強調することで次第にふけてゆく自分をごまかし、いつも化粧を忘れなかった。貧乏でも結婚生活は平和にすぎていった。真面目な夫は浮気ひとつしない。花江さんは次第に年齢のことを忘れるようになった。だが気持ちは若くても体力の衰えは着実に訪れていた。
ある日。花江さんは棚の上に置いた品を取ろうとして椅子の上に立った。その椅子がすべり足がよろけ大きく転倒した。しばらく起き上がることもできない。体の老化を痛感した。工場へ働きに行くこともできなくなった。工場でも年齢を詐称していた。帰宅した夫に花江さんは手をついて謝った。その手に涙がぽとぽと落ちていた。
『かんにんして。私はあんたより18歳も年上なんよ』夫はやさしかった。「長い間連れそった仲やないか。いまさら年のことなんか気にせんでええ」となぐさめた。だが花江さんは泣きながら家を出た。3日後ふらりと帰ってきた花江さんは、夫の寝顔をみて起き上がり台所に立った。花江さんは63歳の幕を、自ら閉じた。
(続く)
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