
山口駅前の古井戸の側に落ちていた葉書大の木片。絵は筆者。 |
駅員も正吾の話を真剣に聞いている。駅員も玉音放送が本物であることを確かめたという。国鉄の職員ということもあり情報の一部は知っている。ただ、対等の終戦か、敗戦かわからないという論議をしていた。降伏であれば、今後、国民生活はどんな迫害を受けるか、心配していた。
「水ば飲みたか」と菊江がいう。駅の水道は断水している。駅員も「一度帰るので、駅には誰もいなくなりますが、もし汽車が来たら乗ってください。切符は要りません」という。駅員がいなくなると、また誰もいなくなった。
「水はなかね」と、また菊江がいう。ふと見ると、駅の外側の一画に古井戸があった。のぞいてみると底に水だまりがある。「少し位、汚れていてもいい」と菊江はいう。つるべに下がる汲みあげ桶を落として、水を汲みあげた。菊江、私、隆子が、むさぼるように飲んだ。正吾は飲まなかった。
三人が井戸水を飲んだあと菊江が、井戸の脇に葉書大の木片を見つけた。それには「井戸水は飲むべからず」と薄墨で書いてある。それも小さく書かれており雨風で消えかかっている。「もっと大きく書いてくれんと、これじゃわからんよ」と菊江が愚痴をいったが、もう遅い。しばらく沈黙したあと、気をとりなおして「大したことじゃなか。もう、この水は飲まんようにすればよか」と自問自答していた。
正吾は黙って私や妹をみた。数時間すぎても変わった様子がないので、ほっとして眠りこんだ。陽が落ちて夜になる。正吾は駅の中で火を焚き、もう一度、外の井戸水を汲み、飯ごうで沸騰させた。水はぐらぐら煮れば消毒される。「これで飲める。大丈夫」と正吾が三人の顔をみた。火を消して飯ごうの水をさますと、器用に一升瓶に入れておいた。明朝になれば、また水が必要になると思ったからだ。
山田駅に汽車が来たのは三日目だった。その間、約一時間かけて正吾は親しくなった農家へ行って、安全な井戸水を、もらったバケツに入れて運んできた。それで麦飯を炊いた。芋は焼いた。野菜も柔らかく煮ることができた。
一日、一日、生きた。明日はどうなるかわからない。死ねばゴミのように処理される。名前さえわからないまま焼却される。生きて名を残そうとは思わないが、見ず知らずの人にゴミのように処理されるのはご免だ。口には出さないが、親子三人、浦上の死骸処理の光景が、強烈な印象として残っていた。
諫早駅から長崎本線に乗り換えても、長崎駅はない。途中で降りて二日間かけて、長崎市内に着いた。まだ灰燼の霧が残り、空は見えなかった。それでも次第に被爆の状況がわかりつつあった。被爆による火災は、長崎の真ん中の小高い丘陵を境いにして、かろうじて止まっていた。 |