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【連載】

長崎被爆体験記「静かな地獄」−6

戦後イメージ
 
by 遠武米夫 さん
被爆で溶けた瓶
被爆で溶けた6本の瓶。
爆心地より約400メートルから
発見された。高熱のため瓶の
上部が溶けてくっついている。
(長崎原爆資料館提供)
不思議なことに、焦げた死体の山は恐くなかった。ただ、はじめてみる光景がめずらしかった。三日前の駅前の群衆を思い出す。

あの日、被爆一時間前にいた人々に違いなかった。食糧難であえぎ、汽車に乗って避難しなければと並んでいた人々の、何人かの顔を思い浮かべた。菊江と同じように赤ちゃんを背負った若い、もんぺ姿の母親もいた。考えれば女性が多かった。女学生もいる。
あと一時間、長崎駅で休憩していたら私達も、この死骸の山の一部になっていた。九歳の私にその実感はない。むしろ動揺せず意外に冷静な目で眺めてまわる自分を見直した。俺は冷静だ。と自覚した時であった。

道端に倒れている黒焦げの人が手を指し出して「水をください」と私に声をかけた。その切れ切れの声を聞いて私はのけぞった。動かない遺体はまったく恐くなかったが、黒こげのまま、まだ生きている人間は心臓がつぶれるほど恐ろしかった。幽霊に出会ったような気持ちである。あわてて両親の許に戻った。しばらくして、おそるおそる、もう一度、その人の様子を見るために戻ると、ビクともせず横たわっていた。誰かが、死骸の山に積み上げるに違いなかった。

死骸は人間でなく、通行人の邪魔にならないように、ゴミのように集められる。そうしなければ、歩けないほど死骸が多い。まだ、路面に点々と死骸が転がっていた。手がつけられない状態の中で、一体誰が手際よく山積みしているのだろうと思った。それが、できる人はよほど勇気がある人に違いなかった。なぜなら、死骸は、さわるだけで崩れそうなものばかりだ。魚の腐ったような死臭もする。自分の体にも死臭が滲みつくはずだ。

「長崎駅からは出発する汽車はなかばい。浦上も線路がなかと。ずっと先まで歩けば途中まで汽車がきているらしい。諫早から途中まで来ているというから、そこまで歩いていく」と正吾が菊江に相談している。菊江に背負われている隆子は、元気な目を私に向けていた。その顔は天真爛漫だった。

正吾や菊江は死骸の山々を意識的に見ようとしなかった。目をそむけていた。夕方から、長崎駅前を離れ、浦上に向かった。浦上の光景はさらにひどかった。まだ、道のあちこちに黒こげの死骸が横たわっていた。両親は川で顔を洗おうと浦上川に向かったが、川には水どころではなく、干上がって石と死骸の河原になっていた。

それよりも、河原には、おびただしい無数の死骸が整然と並べられていた。ここでも、また一体誰が死骸の整理をしているのだろうと思った。まだ戦争中だ。一般人の目に付かないように生き残った兵隊達が敏速な惨状隠しをしているのだろうか、などと両親が話をしている。軍需工場は全壊し鉄の柱が曲って、ここが工場跡であったことを、かろうじて知ることができた。

  
それにしても、浦上は変わり果てた瓦礫の荒野であった。建物は消滅し、まるで別世界のような地獄になっていた。まだたちこめる灰燼の中、夕暮れは早い。道もなく、焼けた匂いと死臭の中を歩いた。私達は勘を頼りに、この死の世界をさまよいながら歩き続けた。現実感はない。夢の中。幻の中にいる。夜になっても歩くことができたのは、ところどころで、焚き火があったからである。その火は、木を井形に組んだ中で燃えていた。近くに行くと、その煙りとともに異臭がひどくなった。しかも時折、火柱が立っている。数人の影が黙々と、あるものを火の中に投げ込んでいた。二人〜三人で一つの物体を投げ込んでいる。はじめは何を投げ込んでいるか、わからない。

次々に投げ込まれているのは、人間の遺体であった。近くに死骸の山がある。それをゴミのように火の中へ放り込んでいる。手のひらや足の指が、燃える炎で、ちらりと見えた。ちぎれた腕や足だ。死ねば人間ではなく、ただのゴミになる。
(つづく)




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