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【連載】

長崎被爆体験記「静かな地獄」−3

戦後イメージ
 
by 遠武米夫 さん
長崎駅前
長崎駅前の群衆。被爆1時間前。この人々は全員黒こげ死体となる。絵は筆者。
隆子は二歳をすぎたころ、よく食べ、よく笑い、よく泣くようになった。母の菊江が「ああ、うるさかねえ」とへきえきしていた。それでも隆子は一家の中心になっていた。
山田駅で一泊し、最も早く目の覚めたのは隆子であった。午前五時前から、あたりは明るくなり田園が朝日に輝いている。戦争中であることがウソのようだ。

「一番列車は六時くらいじゃけん。よか時間に起きた」と簡単な仕度くにかかった。間もなく、黒煙をふかして列車がホームに止まった。「来た。来た」と喜んだが、汽車は満員だった。椅子に座れるところはない。私達四人はすばやく乗り込んだ。車内の通路に、そのまま座り込んだ。どうやら憲兵や警官はいない。みんな買出し袋を持ち、沈黙していた。
 
列車はゆるりと動く。人間が走るくらいの、のろのろ運転である。早く諫早へ着いて長崎本線に乗り換えなければいけない。菊江が、なぜか、いらついていた。「おそかねえ」という。午前七時前、諫早駅に着く。そこへ長崎行きの列車が待っていた。常客達は競争で乗り換えた。その乗り換えを待っていたかのように、列車は二分ほどで動き出した。満員列車は息も絶え絶えな蒸気の音だけが響いた。ふつうなら一時間で長崎へ着く。だが駅のないところで止まることもある。敵機の空襲を警戒しているのだと菊枝がいう。しかも各駅停車だ。途中で降りる人はなく乗り込んで来る人だけが多い。暑いので窓は、すべて開いている。機関車が吐き出す黒煙で顔や服はススだらけになった。

長崎駅に着いたのは午前十時すぎていた。昭和二十年八月九日の朝である。長崎駅前では、広場いっぱいに人々がひしめいていた。その数は数千人。老若男女、子供もいる。いずれも汽車に乗らなければという必死の形相をしていた。疎開する人、買出しに行く人、それぞれ汽車に乗れるかどうか、わからないまま、早朝から行列をつくっていた。汽車の発着時間は決まっていない。空襲があれば、その日の運行は止まる。次の長崎発は12時頃らしい。

駅前にひしめく人の列は幾重にも左右に蛇行し、隙間がない。その間を縫って路面電車の方角へ向かうのは喧嘩腰で強引に進まなければいけない。駅前に出たものの、この群衆の中をかき分けることはすさまじい気力が必要だった。正吾が、さすがに疲れたらしく菊江に相談した。まさか米軍機が新型爆弾を搭載して長崎へ向かっているなど、想像もできない。

「ここで少し休んでいかんね」長崎駅は木造建て。構内には少しばかり空いたスペースがある。そこで三十分でも休みたいのは、父だけではない。私もリュックをおろした。もう歩けない。駅員に頼んで水道水を飲ませてもらえるかも知れない。食糧を抱えているが昨夜から何も食べていない。隆子も菊江の背中でぐったりしている。ところが:。菊江だけは何かに憑かれたように、こう断言した。

  
「これだけ人がいたら、敵機に狙われやすか。我慢して早く思案橋の山本の店に行かんば。そこで一休みしたほうがよか」父も仕方なく同意した。菊江の剣幕に押された。駅前の群集にくらべて路面電車は、めずらしく空いていた。思案橋は終点である。腰掛けると、強引に群集をかき分けてきたことが正解だと思った。朝から青空が広がり、入道雲の間から真夏日が車内まで刺すように照りつけていた。

「きょうも暑うなるばい」と菊江が、うんざりした表情をみせた。放心状態の親子四人は、ゴトンゴトンと音を立てて市街地の路面を走る電車の中で、死んだようにウトウトした。終点の思案橋から一分ほど歩いたところに山本仏具店がある。菊江の叔母が経営していた。ここからは本石灰町という。菊江は「こんにちわー。ちょっと休ませてくれんね」といって、芋を何本か配り、奥の間に座り込んだ。

「ああ、疲れたやろ。休んでいかんね」と叔母がいい、私はようやく畳の上で横になった。叔父は店に座っている。正吾も菊江の叔母宅なので、頭を下げ大人しく横になり眠っていた。菊江と叔母は、何かよくしゃべっていた。叔母は買出し袋の中をのぞいている。まだ何か欲しそうだった。

(つづく)




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