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八、最上家

翌日夕刻。徳内は島谷屋本家を訪れた。清吉とおすず、秀子、叔父の又吉、一番番頭、二番番頭、三番番頭が店頭に並んで出迎えた。それは快く歓迎するという清吉の心意気をみせていた。

昨夜の話は秀子から伝えられているに違いない。秀子は若いが勘はするどい。少女だと思っていたが、徳内の話を的確に吸収しているようである。徳内は客間に通された。双方のあいさつが済んだあと、清吉が率直に提案した。

「最上様、誠に恐縮ですが、当分当家にご逗留くださいませ。楯岡でのこと、江戸でのこと、最上様のことは何でも知りたいのでございます。私もお上の御用銅を扱う商人、南部藩のことはわかっても、江戸のこと、蝦夷地のことはわかりません。廻船問屋としては幕府の裏事情も知りたいところでございます。また、これからのお暮らしについては、この清吉、お力になるとお約束いたします。こころおきなく島谷屋の身内として、おくつろぎください」

徳内は、思わず落涙しそうになった。「人間生まれた時は誰も同じ」というが、それは違う。生まれた時から人の運命は決まっている。徳内は不運続きの人生であった。いつも、ぬかるみから這い出ようとしている。抜け出すかと思えば必ず不運が襲った。それが、いま思いがけない、やすらぎの中にあった。

「ご苦労なさいましたな」と又吉がきざみ煙草をすすめた。徳内は、きせるに葉をつめて一服した。久しぶりの煙草である。昔を思い出した。「子供の頃は、煙草売りをしていました」と徳内は語りはじめた。父の高宮間兵衛は百姓でありながら「わが先祖は最上一族である」と自慢するのがくせであった。

系図のようなものも持っていたが、油紙に包み床下に隠していた。見つかれば最上家の残党としてどのような迫害を受けるかも知れないと大げさに恐れてみせたことがある。幕府は、すでに最上一族を追放することはなかった。そのようなことがあったことさえ忘れ去っているのだが、地元では、とやかくいう古老がいて簡単に名乗るわけにもいかない。

古来、陸奥や出羽方面はアイヌ人が多く住んでいた。いまでも下北半島にはアイヌ人がいる。多くは蝦夷地(えぞち=北海道)や北方諸島へ移住しているが、最上家はその血を継いでいる、という説がある。最上ははじめ「毛賀美」(もがみ)と書かれ「静かな神」というアイヌ語の意味から由来しているという話が、それを裏付けるようであった。

最上家にふれておこう。戦国時代、最上義光は関が原で功績をあげ、徳川家康から羽州の村山郡、最上郡、庄内三部、由利郡を賜った。五十七万石である。だが米の収穫は二十万石にもおよばなかった。


続く






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