七、先代
「子供ではありません!」と秀子は反発した。徳内は、真面目な顔に戻って、ていねいに頭を下げた。「いや、すまん。私は船頭長屋に住む新七の居候だ。すぐわかる。大店(おおだな)のご主人がわざわざ来るところではない。明日の申(さる)の刻(午後四時)私のほうからお伺いする。そうか。清吉さんは、私を忘れていなかったのか。さすがだね。よろしくお伝えくだされ」
「兄をご存じですか」「まだ話をしたことはない。しかしこれは秀子さんとも関係があることだ。どれ、歩きながら話そうか。清吉さんの三代前のお祖父さんは又之丞さん、その長男が清四郎さん、その長男が清吉さんだ。私の二代前のお祖父さんは徳兵衛、これが又之丞さんの弟になる。その子が間兵衛つまり私の父ということだ。つまり、あんたと私は、親類というわけだ。先日「楯岡の俊治です」といって、突然、清吉さんを訪ねたが、清吉さんが出かけるところで話はできなかった。迷惑だと思い、伺うことをあきらめていたのです。しかし、よくおわかりになった」
「どうして楯岡の俊治と名乗られたのですか」「少し話が長くなるが、よいかな」「はい。ゆっくり歩いてくださいませ」「…私の父の名前は高宮間兵衛、私は長男の元吉という名前だった。家は貧乏百姓でね。七歳の時、酒田の廻船問屋の養子になる話があった時、旦那が「俊治」という名前をつけてくれた。その頃この野辺地の島谷屋ともつきあいがあったので、島谷屋の叔父さんなら「俊治」という名を覚えているのではないか、と思ったわけだ。酒田の廻船問屋は三年で飛び出して、また元吉に戻った。江戸へ出て本多塾へ入り本多先生から最上徳内と名付けてもらった」
「はじめて、聞きました」「そうだろうな。先々代のお祖父さん兄弟が、それぞれ別の姓になったのも、それぞれが養子に出されたからだ。あまり自慢できる話ではない。いまは他人と同じだ。親類だといって貧乏人の風来坊が訪ねても、いまの島谷屋には迷惑なだけだろう」「そんなことは、ないと思いますよ」「いや私が食うに困って訪ねたので、清吉さんは気にしておられるだけだ」「勘違いです。兄は最上様を親類とは知らずに、お招きしたいのです」
徳内は自分の早とちりに赤面した。 余計なことまで、話してしまったようだ。
続く
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