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五十 算額修行

数日後、俊蔵が飛んで来た。「本多先生。随行できます。ただし、身分は足軽です」「おお、足軽でも何でも結構です。ありがたく受け賜ります」「しかし、先生が足軽とは情けないと思い、指南役というお役目を願い出ましが、それは無理だといわれました」「当然です。私は幕府お抱えではない。剣術指南と同じようにはいきません」「しかし」「いいのです。私は行きません。青島殿。元吉に代理を頼みたい」「なるほど。元吉なら算額の達人で測量の経験もある。筆も立つ。北陸の冬にも強い」「では、私は急病になり申した。愛弟子の元吉を代理に出したい。と届けてもらえないでしょうか」「承知しました。ところで当の本人は、大丈夫でしょうか」「下話はしてあります。ここへ呼びましょう」
 
女中の加代に目配せすると、加代がすっと立って、元吉を呼びに行った。音羽塾は三つの部屋がある。門下は総勢三百人を超え、三日ごとの授業で入れ代わる。上級、中級、初心に分かれ、利明に代わって指南する師範代は三人いる。そのうち一人が元吉であった。元吉は、二十畳の部屋を預かり、茂助をはじめとする商人の子や武家の子弟約三十人に算額を教えている。

算額(数学)は、すでに永井正峰をしのぐ実力を持っていた。その永井正峯。「元吉と長崎まで算額修行の旅をしたい」と、利明に願い出たのが一か月前のことであった。元吉も長崎の出島」に興味がある。長崎帰りのオランダ通事から面白い話を何度も聞いていた。算額修行という形で蘭学を学びたい。本多利明に習って「学者になる」と決心していた。
算額修行とは、算額の問題を社寺に奉納し、見る者に回答させる、この時代に流行した修行の一つである。算額の武者修行であり、全国をまわれば達人として有名になり仕官も有利だった。正峯がなぜ急にこのような修行を望んだか。元吉にはわからない。昌平坂学問所の門下生が昨今の政情不安で急に減ったことも原因なのだろうか。

さて音羽塾をあげて出発祝いしたにもかかわらず、江戸を出る前に、肝心の正峰が倒れてしまった。正峰と元吉の二人は、江戸の一番額として、芝の愛宕神社に詣で算額を奉納した。出題して「天明四年三月二十五日、西海へ向かう。是日はじめて東都を発す。東都湯島逸民 鶴岡 永井右仲正峯」の札を掲げた。また元吉が正峯の出題を回答し、新たに出題して「門生 高 元吉常矩」の札を掲げる。 ところが、神社を出て間もなく正峯が急に腹痛を起こし、駕籠に乗せて湯島の自宅へ送り届けることになった。

しまらない話だが、喜んだのは女中の加代。下総の百姓の娘である。江戸に憧れ十八歳で音羽塾に住み込んだ。二十歳をすぎている。まじめな元吉の働きぶりは、三人の女中達の関心を高めていた。加代は「学者の嫁なら貧乏してもいい」と競争心をわかせていた。
「元吉さん。先生がお呼びです」と廊下から声をかけた。その声が震えている。


続く







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