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四十八 藩政 

「大きく出たな。しかし倹約はいずれの大名もやっていること。定信は、本当に餓死を出さずに済んだのか」と意次は笑った。「はい。まずは松平家の勘定頭、松村仙蔵と申す者を越後の分領に赴かせ、一万俵の蓄米を確保しましたが、持ち運ぶ途中の会津も同じ凶作。人馬の継ぎ立てなど思いもよらぬことと地元役人に、にべもなく断わられました。

そこで定信殿は、自ら会津藩主、松平容頌(まつだいら・かたのぶ)様に特使を出し、人馬の便宜を図ってくれるよう懇願されました。容頌様はその願いを聞き入れ、ようやく白河まで運ぶことができたということです。もちろん、これだけではありませぬ。大阪、兵庫、浜松などから六千九百五十俵、会津から六千俵、磐城平から三千俵、二本松、守山から各千俵、値段にかまわず買い集めました。ことしに入って、江戸からヒエ、ふすま、挽き割り麦、あらめ、かます干物、にしん、干し大根を大量に買い集めて武州幸手宿の役人に怪しまれ、盗賊ではないかと私に訴えがありました。私は江戸留守居役を呼び出して詰問したところ、問題も見当たらず通行を許した次第でございます」

意次は目を閉じて聞いている。他人事ではなかった。自領でも減収があった。「定信の潤沢な金は一体どこから出ているのだ」「証拠がつかめませぬ。定信殿の母君、宝蓮院様の動きが激しく、商人や町人姿が毎日のように出入りしております。この三月の間に、江戸屋敷へ商人四名、蝦夷地の松前。水戸、尾張など譜代大名約三十余家が訪れています」
「譜代大名の間では、わしが徳川家に外様大名、島津家の血を入れたと、もっぱらの噂だ。島津重豪殿と親しいからであろうが、よくわからない者には信じられている」「八代将軍吉宗公が、ご正室に望んだお手つきの姫を島津家へ押し付けたのが、両家のはじまりと聞いておりますが」

「うむ。そのことは口にするな。ともかく今後も譜代大名の動きには目を配ってくれ。まず定信に金を出す商人は、どんどん取り潰すことだ」「はっ」と返事したが秀持は次の言葉を飲み込んだ。定信の悪行がつかめそうなのだ。定信は家臣に命じて越後などから多くの若い女子を強制的に白河藩へ連れてきた。ほとんど誘拐である。その女子達は領内の独身百姓の嫁にするという荒っぽい方法を行なった。他領からの流入は歓迎するが白河藩からの流出は厳しく取り締まる。いささか強引な藩政建て直しであった。迷惑を受ける他藩も出てきたのである。

「自分の藩だけ、よければいいのか」と幕府へ訴える藩もあったが、証拠を持った使いの者は江戸城へ入るまでに抹殺された。幕閣は「他藩から訴えがあれば直ちに裁く」と待ち構えていたが、ついに松平定信を詮議できないままであった。

続く







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