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四十二 本多利明

翌日から、元吉は音羽塾の内弟子となった。これには仕掛けがある。元吉は学問所で働きはじめていた。三日目に一人の若侍から声をかけられた。「元吉じゃないか。どうして、ここに」と近づいたのは同郷の鈴木彦助(のちの会田安明)である。その夜、神田明神下の酒屋で杯を交わすうち、彦助の同輩、藤堂家の家臣・村田佐十郎も加わった。彦助は元吉の才能や境遇を少年時代から熟知している。そして元吉が人生の岐路に立ち往生していることを知る。

「昌平学門所では一生下男で過ごすことになるぞ。やめろ。じつは二人とも音羽塾に移るつもりだ。時代遅れの昌平学問所はやめる。お前は一足先に音羽塾へ行け。音羽塾は人間の未来を育ててくれる」という。「しかし。入ったばかりで」という元吉に鈴木彦助は、面白い策を提案した。

「二人でお前をわざといじめる。つまりお前は学問所から追い出される。というわけだ。あとは永井正峯先生にお前の行く先を世話させる」「そんなに、うまくいくかな」「永井先生はかつて音羽塾の門人だった。いま立場は違うが。まあ、まかせておけ。先生の囲う芸者から入れ智恵させる」というわけであった。

数日後。 本多利明は、元吉を内弟子として迎えた。初対面は机の並ぶ部屋である。「どんな学者になりたいのか」「算額(数学)や測量学を生かした仕事をしたいと思います」「医学はどうなのだ」「解体新書を読んで、少し怖くなっているところです」
 
利明は笑った。「なぜ算額が好きなのだ。ここでも算額を教えている」「出羽に旅する江戸のお侍に、いつも案内代をごまかされていました。その口惜しさがはじまりです。測量は、道の長さがすぐ読めるので楽しいのです」「私は最上川を川下りしたことがある。酒田や大石田はいいところだ」
 
懐かしそうに腕を組む本多利明は、涼やかな目を細めた。この時、四十歳。 越後国村上桃崎浜の生まれである。宝暦十一年(一七六一年)十八歳の時、単身江戸へのぼった。関孝和の門下、今井兼延に和算を学び、千葉歳胤に天文学を学ぶ。二十二歳の時、前田家金沢藩に出仕したが家老の末娘と恋仲になり離藩。二十四歳の時、明和三年(一七六六年)音羽一丁目に私塾を開いた。
 
利明の人気は江戸に乱立した塾の中でも突出していた。全国各地から江戸や大阪へ運ぶ海運、川運、陸運の手段や工夫を説いて幕府や商人達の目を開かせた。さらに「西の長崎だけでなく北の蝦夷地を開港して異国との交易を盛んにすれば国益になる」と唱え蘭学を取り入れた思想家としての風格も高めていた。

続く







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