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四十 永井正峯

丸い顔の侍に教えられた算額塾は、昌平坂学問所であった。そこには湯島聖堂がある。元禄三年、林羅山が上野忍が岡の私邸内に建てた孔子廟「先聖殿」を移築、将軍綱吉が先聖殿を「大成殿」と改称して増築、それに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。同時に林家の学問所も当地に移転している。寛政異学の禁により寛政九年(一七九七年)林家の私塾が官立の昌平坂学問所と変貌した。いまでは異学も奨励しているから時の移り変わりは激しい。もともと算額が得意な元吉にとって、儒学と算額の殿堂に接する機会は二度とないことだ。年老いた男が掃除をしていた。

「永井先生にお目にかかりたい」と若侍に教えられた通りの申し込みをした。「真崎源次郎様の口利きで参りました」と、告げると、初老の永井正峯がこころよく面談した。学問所の内部は、百畳もあろうかという大広間であった。

その一角に正座する。最初の質問は「いつくになる?」であった。「二十八歳でございます」「下男にしては、ちと年をとりすぎているな。下男奉公は女でいえば女中。我慢できるかのう。めしだけは出るが、商家のように駄賃はないぞ」「何でもいたします。私も学問が好きなので、学問所で奉公できれば幸いです」「ここには約三百人の門人がいる。下男は勉強などできぬぞ」「はい。背中で学びたいと思います」「はは、背中でな」
 
その時。建物が激しく揺れた。地震である。はじめは笑っていたが正峯の表情が一変した。揺れが何度も続くのだ。 天井の張りが、きしんで、いまにも倒壊しそうになった。「ただごとではない。六助を呼べ。屋根が危ない。お前はいまから働け!」考えている時ではなかった。その日から元吉は下男の一人となる。
 
天明三年(一七八三年)七月。浅間山の大噴火は江戸に暗雲を漂わせた。二か月後、永井正峯は音羽塾を訪れ、本多利明と面談していた。「いや驚いた。あれいらい晴れた日が一日もない。湯島は屋根瓦が半分壊れた。噴火した浅間山周辺へは勘定吟味役の根岸九郎左衛門の見分隊が向かうそうだ」「利根川の中洲にあった村はすべて流されたと聞き及びます。下総国金町村の者の話では、江戸川の水が泥水に変り、根元から抜けた大木が流れ、壊れた家の家具や材木が、こなごなになって流れている。また、それに混じって人間のちぎれた手足や、牛馬の死骸も散乱しているということです」「さすがに本多殿は、川のことにくわしい。ところで、きょうは相談したいことがあって、まかりこした。貴殿には吉報である」

続く







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