四、島谷屋
いま最も得意とする「蝦夷地」については口を閉じた。たちまち噂になって松前藩へとどくかも知れない。場所柄「蝦夷地の話」は刺激が強すぎる。
「わしは学者のはしくれである。小太刀しか持たぬが剣術も江戸で修行している。ウソやはったりはいわない。この地は水夫(かこ)が多いようだが、海の向こうに何があるか。お答えしてもよいぞ」といった時、下腹からグウという音が出た。五人の見物客がけらけらと笑った。それを、お構いなしに話を続けた徳内は、咳払いをして、なおいっそう声を張り上げた。
「江戸で流行の歌でもよいぞ」といった時、一人の娘が「お願いします」と場違いな細い声を投げてきた。「承知した。筆は持っているが、紙か短冊をお持ちかな」「はい」といって、娘は匂いのする和紙を取り出した。良家の子女に違いない。徳内は、その和紙に、さらさらと流行の万葉集の一節を書いた。達筆である。
十七歳とおぼしき娘は「ありがとうございます」といって、五文差し出した。「二文多い。三文いただく」と徳内は二文返した。徳内の指先が娘のやわらかい手のひらに、かすかに触れた。娘の頬がかすかに赤くなった。
「算額はできるかい」という隠居風の男が声をかけた。「得意でござる。神田明神での競い合いで一番を取ったのは私だ」「へえ、お前さんの名前はなんというんだい?」「最上徳内」それは本多利明がくれた宝物のような名前であった。
この日は五人の客がついた。合計十五文だが、充実した思いがある。商いもいいものだと徳内は苦笑いした。美しい娘と気楽に話ができる。
その様子をじっと眺めている男がいた。島谷文吉である。島谷屋清吉の伯父。文吉は清吉を訪ねた。「いま門前町に行ったところだ。面白い男が野師の真似事をしていた。名前を聞いて驚いた。最上徳内だという」「えっ最上徳内って。クナシリや、エトロフ、ウルップまで行った、あの男ですか?江戸へ帰ったと聞いていましたが」
「身なりはお粗末だが、確かに三年前、幕府の見分隊にいた男だ。老中の田沼意次様が失脚して蝦夷地の見分は取りやめになったが、最上徳内という学者が発見したものは商人達にとって宝の山といわれている。松前藩や飛騨屋が知られたら困ると、あわてた話は本当だ。その張本人が流れてきた。どうする」
「暮らしは楽でない様子。一度、当屋敷に招きましょうか。本物なら、飛騨屋や松前藩の様子がわかります。蝦夷地にはまだ金山の噂もある」「当分、逗留してもらわなければ、なるまいな。話の奥は深いぞ」
続く
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