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三十九 音羽塾


音羽通りは護国寺の門前町である。護国寺は天和元年(1681年)、五代将軍・徳川綱吉が母・桂昌院の願いによって、寺領三百石を与えられたのがはじまり。のち二千五百石の寺領となるが元禄時代の建築の粋をあつめ、関東随一の雄大さを誇っていた。江戸町民は中へ入れなくても、その周辺を歩き、にぎわった。南側の赤坂宿は民家四百軒が出来、うち八十三軒は旅籠として栄えるが宝永六年の大火でほとんど消失。旅籠街は内藤新宿へ移りはじめていた。 それでも音羽通りには、女の嬌声が聞こえる民家があった。

川の北側に沿って裏道に入ると、商人や学者の屋敷が立ち並びはじめている。その中の台地に屋敷森があった。一角に数奇屋造りの門があり、木彫りの音羽塾という文字の看板が小さく掲げてある。屋敷は森の中にあった。江戸一番といわれる人気熟としては地味な構えである。

「ここが音羽塾か」元吉は音羽塾を見つけることができたものの、門をくぐることができない。「何の用だ」うしろから突然声をかけられて、思わずのけぞった。見ると三十歳前後の武士が二人並んでいる。一人は長い顔、もう一人は丸い顔をしていた。長い顔の男が元吉をにらみつけている。うろうろしている姿は怪しいに違いない。

「あの、ここは、百姓の身分でも、教わることができるのでしょうか」「音羽塾でお前が習いたいと申すか」「はい」「ここは高いぞ。身分で違うが、百姓でも年に十両だ。金はあるのか」「二両では駄目でしょうか」「話になるまい。お前は無宿者なのではないか?帰れ。帰れ」
 
元吉は頭を下げて、その場を立ち去ることにした。横目で見たところでは、屋敷は平屋である。が、垣根の中の庭は広く屋敷は三棟に分かれていた。中から人の声がする。誰かが大きな声で何か叫んでいた。やはり自分とは別世界なのだ。どこか住み込み先を探すことが先決と歩き始めた時、丸い顔をした若侍が追いかけてきた。

「待て。待て」と叫んでいる。元吉は立ち止まった。若侍は元吉の前にたどり着くと、荒い息を静めた。「勉学を志す者に、あのような態度はよくなかった。お前は身奇麗にしているし人相も卑しくない。信頼できると見た。住み込みの内弟子が望みではないか。じつは下男をさがしている学問所がある。儒教と算額の塾だ。私の伯父、永井正峯が師範をしている。音羽熟の本多先生とも親しい。そこはどうだ!」


続く







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