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三十六 本多忠籌

月日がすぎる。小峰城大手門の前に三人の武士が立った。主と思われる者は深編み笠。身分の高そうな羽織袴。腰の大小は漆塗りの鞘。金細工の柄。饅頭笠の供は二人。やはり大小を挿しているが、すきのない構えが門番を威圧している。

「泉藩の本多忠籌(ほんだ・ただかず)と申す。わけあって隠密裏に参上した。突然の無礼をご容赦いただき、松平定信様にお目見えしたい」と深編み笠をとった。凛とした風貌が本物だと語っている。門番は転げるように城中へ走った。

泉藩(いずみはん)は隣藩。陸奥国菊多郡(福島県いわき市泉)にある。一万五千石。格下の小藩とはいえ領主。定信は驚いて義父、定邦とともに座敷で出迎えた。忠籌とは何度も会っているが、親しく語らったことはない。

「本日は人目をはばかり内密の話でお伺い申しました。白河にも公儀隠密が入り込んでいると聞き及んでおりましたので、ご無礼は平にご容赦いただきたい」定信は本多忠籌にはじめから好感を抱いている。高潔な人物として知られている。家康や吉宗には、このような重臣がきら星のようにいたのだろう。

「何なりと申されよ」と定信がうながす。忠籌は静かに語りはじめた。「将軍家治様のご嫡子、家基殿が三年前亡くなられたと聞き驚いております。私は家基様がご幼少の時、心学をお教えしたことがござる。家基様はご聡明であった。放蕩はお側衆の手落ち。または仕組まれたこと。しかも田沼意次の進言で一橋から即座に家斉様を養子に迎えられた。次期将軍を約束されたご養子となれば公にして譜代大名の声も聞くべきである。松平家には申しわけありませぬが誰が見ても次期将軍は定信様であった。すべて老中・田沼の陰謀でござる。さて、いまの世は弱肉強食、すべて金の時代。人心が乱れてござる。民に不満が満ち、その矛先(ほこさき)は徳川家へ向けられます。乗じていかなる怪しき魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するやも知れませぬ。かかる天下の一大事、黙しては徳川家への不忠と思い、まかりこしました」定信も同じ思いのはずである。と確信している言葉だ。

「何をいいたい。はっきりと申されよ」と定邦が問う。「定信様には将軍でなく老中になっていただきたい。田沼の悪行を暴き御三家や譜代大名こぞって嘆願書を出せば上様(家治)も定信様の老中職は許さざるを得ない。将軍は飾り物。定信様が老中となり天下万民を救っていただきたい!」

即座に「同じことを考えたことはあるのだ」と答えたのは定邦である。「ただし金がいる。定信が忌み嫌う、まいない(賄賂)も配ることになる」その時、意外に明るく応えたのは定信であった。半分は定邦へ向けた答えだ。「本多殿が動いてくれるなら承知。金策は妙案がある。父上。よろしいか」



続く







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