|
三十五 小峰城
奥州街道は五街道の一つである。奥州道中ともいう。道中奉行の管轄で江戸日本橋を起点として千住から陸奥白川(白河藩)まで二十七宿があった。そのうち宇都宮までの十七宿は日光街道と同じ街道である。
定信のお国入りは総勢二百人を超える大名行列となった。道中、陣屋では奥州各藩の大名から祝い品がとどけられた。
白河に到着したのは十二月二日。すでに秋は深く山野の緑はこげ茶色にかわっている。青く透きとおる空の下、定信が見たものは小峰城と城下町の整然とした美しさであった。眼下に阿武隈川を見下ろす小峰が丘に、その城はある。城郭は丘の凹凸を活かした石垣が幾重にも築かれていた。堀をめぐらし、城下からは城が三層にも六層にも見え、大手門前は石畳が敷きつめられている。
その大手門に城主の松平定邦をはじめ、朝子姫や重臣がずらりと並んだ。定信はここで六人担ぎの大名籠から降りた。すでに田安徳川家ではない。入り婿である。それでも吉宗の孫だ。まだ城主ではないが扱いは主君であった。
数日をすぎた。定信は定邦の娘、朝子姫と仮祝言を挙げる。朝子姫はまだ十四歳だが、すでに大人びた美しさを見せていた。田安徳川家の奥女中達にはない気どりのなさがうれしい。江戸にはない、のどかさが満ちていた。
「父上が、定信様なら、この白河藩を立て直してくれると申しておりました」と笑った。何を話しても屈託なく笑う姫である。その都度、白い肌の頬を赤くした。朝子姫は心の支えになるかも知れない。と定信は思った。
定信の警護役をかねた側用人には、同行してきた田安徳川家用人の杉山七左衛門が、そのまま当たる。その七左衛門も驚いたのは起倒流柔術であった。「きょうは、わが松平家に伝わる武術をみせよう。婿殿はまだお体が弱い。ご存じと思うが、八代将軍吉宗公は紀州の頃から岡村弥平直時という武芸者に弓馬拳法を学んだ。とくに拳法は女子にもすすめられた。弟子達は相次いで他国の養子となり忍びの者らとともに尾張と戦った」と定邦が意味あり気にいう。
外は雪が降りはじめた。城内にある道場で武芸が披露されることになった。紅白の幕が張られた道場では、小柄な鈴木清兵衛が大柄な男三人を相手に、新しい拳法を披瀝し、これが「柔術」だと言上した。
「待て。本当に手を当てたのか」と定信が声をあげる。四人が単に腕を振り回しているだけのようであった。清兵衛は「恐れ入りますが。杉山七左衛門様にお相手をお願い申しあげます」という。しかも相手は隼という若い女子である。
「隼を、ねじ伏せていただきたい」と鈴木清兵衛は静かに声をかけた。七左衛門は憮然として真ん中へ出ると、鉢巻きをした隼の腕をつかんだ。次の瞬間、七左衛門は自分より小柄な隼に三尺ほど投げ飛ばされてしまった。
続く
|