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三十一 奥医屋敷
御医師(ごいし)は将軍とその家族、幕府諸役人の医療を受持つ。お抱え医者、官医などと呼ばれる。最高位は将軍の脈をとり大奥にも出仕する通称お匙(さじ)の薬典頭(てんやくのかみ)である。従五位の下。半井、今大路の二家が世襲した。その下に奥御医師、表御番医師、寄合い医師、小普請医師などがある。診療は本道(内科)、奥外医(外科)、奥口中(歯科)、奥眼(眼科)、奥小児(小児科)、奥針(針灸)などが江戸城に出入りした。
山田宗俊は内科を専門とする奥御医師である。ふだんは奥女中の御広敷療治に当たる。元吉が、その山田宗俊と面談したのは神田お玉が池の山田屋敷であった。わずか一度。簡単な話のやりとりだけで見習いの三道新助に預けられた。三道新助は十七歳である。山田屋敷には調剤所がある。二階には薬草蔵がある。薬草三百種以上がならんでいた。高麗人参も山のように積まれている。新助は奉公して五年という。「とにかく忙しい。毎日、薬袋を二百以上調合しなければいけない」と年寄りのような口をきいた。
元吉は十歳以上年下の新助に薬草の調合を習った。乾燥した薬草や木の実を臼で挽き毎日薬草の匂いに包まれる。丸薬もつくる。宗俊が書いた病名、年齢、名前を見て、どれを組み合わせればよいか、自分で判断しなければならない。
十日に一度、新助が薬袋を詰めた行李を風呂敷に包んで背負い、江戸城内の奥医控え部屋へ向かう。そこに山田宗俊が待っている。山田宗俊はほとんど江戸城に詰めていた。屋敷には月に一度帰るだけ。その繰り返しである。ある日。
「宗俊先生の診断書きを見て、こちらが何を飲ませるか決める。何かおかしいと思いませんか」と新助が質問した。元吉は思わず耳を疑った。年上とはいえ後輩に、ただならぬ質問をする新助の心がわからない。
「私にはまだ、よくわかりません」と元吉は、さわりのない答えをした。「山田先生は難解な蘭学を無視して、単純な大昔の医学を尊重している。陰陽五行や五運六気などにかかわりなく、陰と陽の二つの気の不調和に寄って生じるという簡単な一気留滞説です。薬剤より食餌療法を重んじている。われわれが毎日調合している薬が本当に病いを治しているのか。誠に疑問です」などと不満をもらした。わかる気もする。単調な毎日に飽きがきたのだろう。
三か月すぎた。新助は新米の元吉を残して辞めてしまった。どうやら独立して開業医になるようだ。新しい見習いが入った。今度は元吉が先輩として教える立場になり江戸城へ薬行李を運ぶことになった。義理も礼儀もない若者の姿に山田宗俊は「時の流れだ。新助の親には世話になったことある。あやつが医師をはじめても、うまくいくかどうか」と笑うだけであった。宗俊の人柄には好感が持てる。
続く
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