十八、来客
翌朝、元吉は出来上がった清書を、平助に読んでもらった。「よい出来ばえだ。寝ておるまい。きょうは一日、ゆっくり寝ておけ」という。茶を飲むと猛烈な睡魔に襲われ小部屋で布団をかぶった。茶を飲んで目が覚めることはあっても、眠くなるのは、はじめてである。
外は暖かく庭先の桜が満開である。昼すぎ。隣の部屋から平助と客の声が聞こえる。隣室が客間だということは元吉が寝起きする小部屋は、来客が泊まる部屋ということであった。小部屋が少ないからであろう。
元吉は清書の中身に刺激されたせいか、ふと目が醒めると今度はなかなか眠ることができなくなった。隣りの部屋で二人が密談していた。相手は田沼意次の側用人、三浦庄二に違いない。その声は低いが、よく通る声である。
「いずれ、もう一度書き直して、百冊ほど刷るつもりです」と工藤平助がいう。「いや当分内密に願いたい。礼はする。その報告をもとに幕府は初の蝦夷地見分隊を派遣することになろう。松前藩はおだやかであるまい。松前藩は反田沼派と手を組んでいるという噂もある。伊達殿は大丈夫かの」「むろんでございます。わが殿、伊達重村様から田沼様へ、よろしゅうにと伝言がございます。中将への昇進、何としても薩摩の島津重豪様には負けられない。田沼様とは同志であるとも申しております」「官位のこと承知している」「ありがたく存じます。ところで、もう一つお願いがございます。江戸城内では、いまだに将軍家治様のご嫡子、家基様の死に疑問が消えませぬ。田沼様の手によるものか、田沼様を陥れる者の策略か論議が分かれております」「知っている。困ったものだ」「わが殿、伊達重村様は、そのことを大変気にしておられます。すでに二年すぎました。本当のところを知りたいのですが。ご配慮いただけませぬか」「さもあろう。家基様は次の将軍様だったからの。よかろう。その場にいた者に真実を語らせる。名は谷島七右衛門。明日、ここに来るよう手配する」「有難く御礼申し上げます。これはわが殿から三浦様への手土産でございます」「うむ。しかし薩摩には一手おくれたな。いまだ八歳の豊千代様に島津殿の三女、茂姫が正室となる話が進んでいる」「噂には聞いております。残念ながら仙台には手駒がありませぬ」
あとは何と話をしているか、わからない。元吉は、また深い眠りについた。目が覚めると、頭が重く目まいがした。綾子が様子を見てくれた。「いま流行りの風邪ですね。疲れが溜まっているのでしょう。おかゆを召して、お休みください」という。翌日。隣の部屋で平助と来客の話声がした。元吉は熱にうなされながら、耳だけはしっかり隣りをとらえていた。
続く
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