十六、赤蝦夷(あかえぞ)
「赤蝦夷風説考」の内容は驚くべきものであった。
まず松前藩の藩士、湊源左衛門の話からはじまる。湊(みなと)源左衛門はオランダ医学を学ぶために江戸へ出た。三男坊である。藩にいるだけでは出世できない。蘭学、医学を覚えれば藩の役に立つかも知れない。というのは建前で、実のところは藩の方針に反発して騒ぎをおこした。逃げるように江戸入りしたのである。源左衛門は江戸で経世家(政治評論家)として名高い工藤平助を訪れた。この時、平助は単なる北辺の島「蝦夷地」が、思いのほか豊かな資源を持つこと、それを赤蝦夷が侵食していることを知ったのである。
赤蝦夷とはロシア人のことだ。日本人は北辺の異人を蝦夷(えぞ)と総称している。ロシア人は赤ら顔で「赤い制服」を着ることが多い。そのロシア人が日本人のようにアイヌ人と交易をしている。松前藩は宝暦四年(一七五四年)蝦夷地から北上して国後(クナシリ)島に取引場所を開設した。有力商人に商船を建造させ、蝦夷地の東岸にある厚岸(アッケシ)と国後島を根拠地として活発な交易を繰り返している。いずれも徳川幕府に秘密だ。松前藩は江戸の目が及ばぬところで抜け荷(密貿易)をおこなってきたのである。
ただし江戸幕府に露見すれば一夜にして改易(廃藩)になる。その時のために松前藩はいいわけを用意していた。松前藩は直接、赤蝦夷と交易しない。まず商人に山林や漁場の「場所」を委託。一定の運上金を献上させる。商人は蝦夷(アイヌ人)と取引。蝦夷は赤蝦夷(ロシア人)と取引する。
赤蝦夷との取引は商人やアイヌ人が勝手にやったこととする。発覚した場合は「違背した商人や蝦夷を処刑する」と江戸幕府に報告している。が、証拠がなければ断罪できない。まして蝦夷を完全に支配しているわけではない。異人を処罰することは慎重でなければならない。
赤蝦夷(ロシア人)が求めるものは米、酒、煙草、肉という生活品が多い。彼らは商人だが軍人の資格も持つ。時に侵略的行為もあるが目的は通商である。島々に生活の根をおろすようになると領土権を主張するようになる。彼らはロシア皇帝の許可を得て来たからである。彼らは松前藩へ、徳川幕府との直接交渉を求めている。それはオランダと同じように国家間で正式な交易をしたいというものである。
ただし松前藩は、直接、幕府と交渉されては困る。これまでの抜け荷の実態が明らかになるからだ。商人や蝦夷を処刑するだけでは済むまい。その混乱をなくし赤蝦夷の進出を防ぐためには、まず松前藩を不問とし、長崎と同様、蝦夷地を幕府の直轄領とすべきである。しかるのちに鎖国令を緩和し、赤蝦夷との通商条約を結ぶことが日本の繁栄の一助になると思われる。
続く
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