中高年・シニアの連載小説を楽しむ

中高年・シニア交流サイトい〜悠々
文字サイズの変更
 


十五、蝦夷

元吉は蝦夷(えぞ)の意味を知っていた。アイヌ人のことである。「アイノ」と呼ぶ人もいる。津軽に近い村ほどアイヌ人にくわしい老人が多い。六年前、南部藩まで行商の足をのばした時、煙草を買ってくれた老人が語ってくれた。

蝦夷(えぞ)の歴史は古い。日本が統一されていない時代。大和朝廷に従わず、奥羽一帯と蝦夷地(蝦夷が島とも呼ばれた)に暮らした民族である。言葉も異なる。暮らしの風習も違う。だが平時は日本人と物々交換をして生活した。アイヌ人は昆布、馬、毛皮、羽根。日本人は米、布、鉄を運ぶ。男女の交わりもある。混血も生まれる。日本人になるアイヌ人もいる。津軽の豪族、安東氏が鎌倉幕府・北篠氏より蝦夷をおさめる代官に任ぜられたこともある。蝦夷は日本人だと位置付けるはじまりだ。

日本人の勝手な線引きによれば、蝦夷は、松前藩前身の渡党アイヌ、蝦夷地東部と千島諸島の日の本アイヌ、蝦夷西部と樺太(カラフト)の唐子アイヌなど、三つに大別される。実態はもっと細かく村によってわかれている。統一するアイヌの指導者はいない。かれらは誰にも縛られず自由に生きる。

なぜ蝦夷(えぞ)というのか。蝦夷の蝦は「蝦(えび)のように長いヒゲをしているからであろうと老人はいう。蝦夷の夷は蔑称である。「アイヌ人は日本人を『和人』と蔑称で呼ぶが悪気はない。いまでは日本人という意味で使われている。しかし『私は和人だ』とアイヌにいう馬鹿者がいる。和人は、元国が『倭人』(小人)と呼んだ時以来の蔑称なのだ」と大笑いした。八十歳をすぎたというのに目の鋭い老人であった。

「しかし赤蝦夷(あかえぞ)なんて知らねえぞ」と元吉は独り言をいった。元吉は平助の下書きに目を通した。すでに清書を出している気配がある。追加の書き込みが別紙になっている。しかも達者な女の筆であった。「さあ。お茶をどうぞ。父上が書きものするときは必ず、お茶を飲んでからなのですよ」と茶を運んできたのは綾子である。この屋敷は大小十八の部屋がある。元吉の部屋は一番小さい四畳半。ただし庭に面した数奇屋造りであった。

「昨夜と今朝の食事には感激しました。まず白い飯に風味のある吸い物など、夢のようです」と礼を述べた。「それはよかった。ところで明日の朝まで、この写し書きをするそうですね。ご苦労様です。私も物書きが好きで、よく父の手伝いをしているけれど、高宮様の筆のほうがよいと今回は外されました」と綾子は率直だ。元吉は「はい」と答えた。「お布団は夕刻から敷いておきます。行灯の灯りが必要になるようでしたら、当家には南蛮渡来の油があります。用意しておきましょう」綾子は、てきぱきと仕度した。綾子は、のちの女流文学者・只野真葛である。この時二十八歳であった。

続く






TOP