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十二 江戸
 
出稼ぎ禁止令の噂は聞いていた。江戸に出る若者が続出して農家を継ぐ者が少ない。米の収穫に影響が出てきた。各藩主は領民の流出を防ぐいっぽう、他藩からの流入を歓迎していた。このままでは争いになる。地方の各藩は他国への出稼ぎ禁止令を発する必要に迫られていた。

天明元年(一七八一年)三月。元吉は楯岡を出た。旅装束も新しい。津軽屋が祝い金を1両くれた。元吉は東の荒神山、舟形山のけものみちをたどった。東海の風が吹きぬける伊達藩へ入ったのは五日後である。伊達藩から江戸は約百二十里。一日七里歩いて約十七日。日本橋までの宿場は七十あるがいっさい泊まらず野宿ですごした。野宿は行商で慣れている。

千住大橋に着いた。江戸ではじめて出来た大型の橋として有名だ。橋をゆっくりと渡る。渡し舟に乗らなくて済むのがありがたい。千住界わいは、お祭りのような賑わいである。畑は点々と見えるが、耕作する人影はない。まず百姓の家がない。商店や屋敷、長屋、芝居小屋まである。せっかくだから、一番にぎやかなところを見物しようと思った。

江戸で一番にぎやかなところは、浅草寺界わいだと教えられた。めずらしさもあって、たどりつくのに時はかからない。そこは出羽とはまるで異なる別世界だ。道行く人達は、すべて忙しそうに歩いていた。商店がどこまでも並んでいる。活気に疲れて裏通りへまわった。うまそうな団子やせんべいを見ているうちに腹が空いている。まず井戸を探した。のどが渇いていた。

「?」井戸の横で倒れている侍がいた。死んでいると思い肩に触れた。「う〜ん」と声がする。生きている。顔に泥がついている。頭や着物が乱れている。腰の大小はない。しかし高価な着物の着流しだ。頭髪で侍だとわかった。元吉は井戸水を汲み上げて、まず自分が水を飲んだ。人助けは何度も経験がある。横向きに倒れている武士を引きずって井戸の囲み柱に侍の半身を寄せた。手ぬぐいで顔の汚れを拭いてやる。背中をさすり「お侍様。お侍様」と呼びかけた。すると「あっ、うう」といいながら、男が目を覚ました。

通行人はいるが、素知らぬふりで通りすぎて行くばかりである。「お武家様、ここで倒れておられましたので、出すぎたことをいたしました」元吉は腰を落として侍の顔をのぞきこんだ。男はよろよろと立ち上がる。「四人組みの浪人におそわれ懐中物と大小を奪われた。とんだ醜態だ」という。元吉は、その言葉を聞いて安心した。「もう大丈夫のご様子。では失礼いたします」と去るつもりだった。

続く






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