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 十、煙草売り
 
楯岡に二軒の宿が出来た。江戸の風流人が泊まるところである。ただし楯岡の宿からの最上川の舟旅は、人気はあっても眺めるだけの旅人がほとんどであった。中流にある碁点、三ケ瀬、隼というところは最上川の三難所といわれている。険しい岩が突き出て難破する舟が多い。

元禄二年五月、松尾芭蕉が通ったところだといわれ江戸の俳人、または裕福な商人達に好まれた。元吉は、この難所の見える岸の上に立って「たばこ売り候」という旗を背負った。旗は戦国時代のように背中にくくりつけ、前に荷箱をぶらさげた。腰の帯には筆と硯入りの箱を差し込んだ。客が、その筆具に目をつけて即興句を記録させることもある。元吉の筆使いは見事だと評判になった。おかげで煙草が売れることもあった。

元吉は二十歳をすぎたら江戸へ出ようと思っていた。江戸は文化の都である。しかし母親が病気で倒れ、父親もみるみる痩せて目がくぼんできた。弟や妹は十五になると奉公に出た。大事に守った畑は売り払った。父は他人の畑を手伝うしかない毎日である。父母を棄てて飛び出すことはできなかった。稼ぎを増やそうと元吉は、隣村の大石田へ出向いた。二十四歳の時である。
 
大石田は、最上川の途中で最大の船着場がある。およそ三百の運搬舟が並んでいる。船主を兼ねる商人、船頭、水夫(かこ)、船大工などがひしめいていた。煙草は、あっという間に売れた。楯岡の二倍の値段でも売れた。あわてて楯岡へもどり、翌日から三倍の量をかかえて「津軽屋のたぁばぁこぉ〜」と船着場周辺を歩いた。

ふと気がつくと、か細い声で「そば、あがてけらっしゃい」という声が聞こえる。ふりむくと、すだれを下げた小屋の中に童がいた。奥に年寄り夫婦が、そばをつくっている。元吉は、そば屋へ入った。「よぐ、ござたなす」と十二、三かと思われる小娘が明るく聞いた。

「一杯くれ」思わず元吉も笑顔になる。 食べ終わって十文払う時、元吉は、そば屋の親父にこう語りかけた。「私は文字が書ける。紙があれば看板代わりに、そばやと書いてあげたい。銭は無用だ。そのかわり、煙草もありますと加えてほしい」

親父は喜んで「お願いします。これで孫の呼び込みに頼らなくてすみます」と快諾した。親父は古びた掛け軸を持ち出した。裏に「そばや」と大書きする。「煙草あります」は小さく書いた。「なんとお上手なことだ」と親父は感心する。この日いらい、元吉は大石田に出かけた時は必ず、このそば屋に立ち寄るようになった。

娘は「ちえ」という。妹のように可愛いと思った。「字を教えて」というので一日に一文字教えた。父母は行方不明だというので深く事情は聞いていない。半年すぎた。ちえが大人のように髪をまるく束ねた。

続く






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