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| |中高年シニアの健康管理室|投稿| | |||||
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年があらまってさほど日がたたない頃、小田急線に乗って遠出をすることがあった。電車が豪徳寺駅にさしかかった時に、不思議な感慨を持った。井伊直弼のことを思いだしたからである。駅に降り立ち、寺に参った。井伊家の菩提寺である。学んだ日本史の教科書では、「安政の大獄」ひとつで印象づけられる人物であって、血も涙もない権力者のように刷り込まれるのではないだろうか。
平成二十二年末に、映画「桜田門外の変」が公開された。水戸市民の熱烈な地域おこし運動があり、江戸城桜田門(門が内と外にあるかかり大掛かりな建造物)を水戸市郊外に築いてのロケだったと聞いていたが、全編を通し強い思い入れが感じられた。水戸藩を脱藩してまでもやり遂げた義士らの胸のうち、後に罪人に扱われ斬首された義士らへ無念に思いがゆくのだろう。国父が許さず叶わなかったが、薩摩藩とて多くの脱藩浪士が斬り込みに加わったはずである。
その昔、高校時代に井伊直弼の一期極意の習のくだりを目にすることがあり、直弼の人となりに関心が強まった。とても血の匂いを好むような人間に思えなかったからである。その後、直弼が彦根藩で十四男として生まれ、捨扶持で教育を受けていた埋木舎の第五代当主に縁を持つ事があり、直弼が相当の文化人であったことを認識できた。
「有髪の名僧」と呼ばれていたので、曹洞禅に対する行学一如もたいしたものだったと想像できる。禅宗とともに伝えられた茶や書画のほかにも、邦楽、歌詠みなどに造詣が深く、武芸修練も怠らなかったと伝え聞く。捨扶持で十余年も養われ、雅号のとおり埋もれ木のまま生涯を終える覚悟だった直弼は、運命を抗うことなく受け入れる人物だったように思える。
「安政の大獄」ひとつをとって井伊直弼の評価そのものとすることが大方だろう。しかし、有髪の禅僧としての生き方を見ると、見事な文人である。直弼は、捨扶持のまま失意の日々を仏道に打ち込み生きた修行僧(雲水)のようである。
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