|
|
||||
| |中高年シニアの健康管理室|投稿| | |||||
![]() |
千年に一度と云われる大地震とそれに起因する巨大津波は、青森県から千葉県に到るまで広域に亘り未曾有の被害をもたらした。一瞬のうちに奪われた二万を越えると思われる尊い命や、掛け替えのない多くのものを失った被災者に思いを寄せる時、もはやどんな言葉も浮かんでこない。ただただ祈り、復興を願って義援金を送付するのみである。
原発の事故が尚も進行し予断を許さない中にあって、度々起こる余震に身を固くしつつも、世の中は少しずつ元の様子を取り戻しつつある。新聞紙面にはこの度の震災とは直接関係ない記事が載り始めた。そこで今回私は震災後のこの一ヶ月間に起こった現象について、感じたところを綴っていきたいと思う。新聞では連日(テレビは観ないので良く分からないが、おそらく似たようなものだろうと思う)、被災地からの美談が紹介されている。
親を失い孤児となった子供たちの直向きに生きる姿や、何もかも失った筈の瓦礫の中で花を咲かせた樹木の話、どれもが落涙無しに到底読み切れるものではない。また、甚大な被害を受けながらも冷静に生活している日本人に世界中の人々が驚愕し、改めてこの国が見直されている、と云った記事には素直に喜びも感じる。しかし敢えて私は悲観的な意見を申し上げたい。読者からの反発も甘んじて受けよう。それはこれから申し上げることが杞憂に終わることを私も望んでいるからである。
果たして今日の日本人は多くの外国人が云うほど慎み深く、思い遣りを持った国民なのだろうか。震災直後に起こった買占め騒ぎを思い出してもらいたい。被災者でもない連中が目の色を変えてあらゆる食品をわれ先にと買い捲り、店の陳列棚はあっという間に空になってしまった。また貯水槽から基準値を超える放射能の値が計測されたとなると、今度は水を求める連中の長蛇の列である。こうした愚行には呆れ返ってモノも云えない。これは列記とした略奪なのでないだろうか。
私は3月14日、午後遅くなって牛乳を求めて最寄りの店に行ったのだが、(今思えばそんな物がその時間にある筈はなかった)店の入り口に同年代と思われる男性が立ち竦んでいたので、どうしましたと尋ねると、「床に臥せっている妻から食べたい物を何とか聞き出して買いに来たのですが、どうしようもありません」「私一人なら2〜3日食べなくたって平気ですが、妻は身体を壊しているものですから」「家にはもう妻が口に出来そうな物の買い置きがありません」と俯きながら云われた。両手に抱えきれぬほどの食料品を買って帰った連中はおそらく何処も悪くないのではないだろうか。しかもこうした現象は東京だけに限ったことではなかったようだ。「あの時はパニックを起こしていたものだから」と、彼等は云い訳をするであろう。しかし人の本性はこうした時にこそ出るものである。とても冷静な国民だと胸を張る資格などない。また、一々記事にこそならないが、被災地での泥棒の被害は甚大だそうである。〈火事場泥棒〉などと云う言葉があるくらいだから、昔からこうした卑怯者がいることは確かである。しかし、その件数は神戸の震災時の比ではないということである。東京がもし直下型地震に襲われ現在の東北各地の様な惨状になった時、尚も世界中から賞賛されるような行動を我々は取れるのだろうか。心許ない気がする。新聞各紙がこぞって美談を書きたてるのは、この漠とした不安を少しでも払拭し、殺伐とした気持ちを癒す方便だと考えるのは余りに穿った見方なのだろうか。
次に、世界各国から寄せられている様々な支援のことである。長い不況に喘いでいたところに持って来て未曾有の災害に見舞われた訳だから、被災地にとって人的支援を始めさまざまな物資、義援金は嬉しい限りである。悲嘆に呉れる被災者を思って募金活動をしてくれている外国の人達には、感謝の念で一杯である。しかしこうした各国からの支援を、政治家達はどういう気持ちで受け取っているのだろうか。まさかとは思うが能天気に喜んでいるだけでないことを望むばかりである。先日読んだ曽野綾子女史の随筆に面白いことが書いてあった。東京から見て、西に行けば行くほど商売人は商売熱心になるという話である。大阪の商人からみると東京人の商売はまるで滑稽で、なってはいないらしいのだが、そんな大阪商人も中国人に掛かったら赤子の手を捻る位簡単にやられてしまうそうだ。しかしその中国人の更なる上を行くのがインド・パキスタン両国人であり、極め付きはレバノンとシリアの二国の商人であるという結論である。実は私もこれには大いに頷くところがあり、読み進むうちにかつて私自身が味わった苦い経験を幾つか思い出すこととなった。商社に勤めていた頃何度も中国に出向き商談を重ねたものだが、彼等との交渉に際しては、価値観の違いをお互いに理解するなどと云う奇麗事では解決のしようの無い修羅場が何度もあった。取引きをする以上、こちら側が少しでも優位に立つように事を運ぶのは当然のことであるし、その為には時には本望で無い事も敢えてせざるを得ない時もある。こうした中で私も何度煮え湯を飲まされたことか知れない。中国の担当を外れた時には正直ホッとしたものである。また、レバノン人と一緒に働いたこともあった。この時は彼が私サイドの人間だった為に彼との間に大きなトラブルを経験することは無かったが、利害が生じる諸問題に於ける彼の並外れた嗅覚には何度も舌を巻いたものである。
前置きが長くなったが、ここで申し上げたいのは、利益を追求するという共通目的を持ったビジネスでさえも奇麗事が許されないことを鑑みれば、外交は押して知るべし、正に戦争と同じことなのである。上杉謙信は武田信玄に塩を送ったそうだが、これは飽くまでも日本国内でのこと。相手国が苦境に立たされた時こそ自国が優位に立つように立ち回るのが外交の常套手段であることは、現代の国際社会では当たり前のことである。先日朝日新聞に載った記事に依ると、中国は日本が震災援助として、して欲しいことを素直に云ってくれれば最大限の援助をしたいとし、来春から中学の教科書に載る尖閣諸島の記述に対しても、申し入れ(抗議)は事務レベルに留めておくと伝えてきたそうだ。またロシアは最大規模となる救助隊や救援物資を送り、電力不安を抱える日本へのエネルギー支援策を打ち出したうえで、現時点では北方領土の話はしないと決めたそうだ。さらに大衆紙には「北方領土は日本に返さなければならない。今すぐ無条件で、思いやりの贈り物として」と云うコラムまで載ったという。こうした援助の行為を善意として取らえるのは極めて簡単なことであり、それを必要としている被災者は大いに活用すべきである。しかし国を運営している政治家はそれを鵜呑みにしてしまってはならない。どんな些細な支援も耳障りの良い優し気な言葉も、それが国家間のやり取りであるとすれば、即ち外交カードの一枚であることも認識すべきなのである。同盟国として当然の行為だと、トモダチ作戦を実行しているアメリカもその例外ではない。
多くの有識者が「この震災を機に我が国は新しい秩序を形成し、国民一丸となって新たな国づくりに邁進しなければならない」と声高に唱えている。当然のことである。しかし、それは容易いことではない。果てしなく続く険しい茨の道である。並大抵の覚悟では到底成し遂げることは出来ない。奇しくも曽野綾子女史は今から四年前に書かれた前述の随筆にこう記してある。「世界で日本人が愛されることは大切なことである。しかし、私たちは鳩のように純粋でありながら、同時に蛇のように賢くならねばならない」と。今の我々に無能な政治家の悪口を言っている暇など無い。何故ならその無能な政治家を選んだのが我々自身であるのだから。それよりもあの東北の海を豊穣の海へと蘇らせ、水田の稲穂がたわわに実る景色を取り戻す為に、勤勉であり続けることを改めて誓いたい。旅行ジャーナリストの兼高かおる女史は今回の震災に向けてこう書いている。「ここ三十年で日本人は大きく変わってしまったような気がします。でも、私達の中に眠っていた何かを今度の震災は呼び起こしてくれたに違いありません」と。幸いなことに今のところ何処の国からも核弾頭を積んだミサイルが飛んでくることも、この機に乗じて侵略を試みる国も無いようである。しかし、安穏としてはいられない。彼等は我々が想像する以上にしたたかで賢い。悲嘆に暮れながら過ごすことに早く見切りを付け、本当に強くて優しい国を目指して歩き出そう。鋼のような強さで無くても良い、竹のように時には強風にしなる事はあっても決して折れないしなやかな強さを身に付けながら。
All rights reserved. copyright (c) A-Priori 2004〜2011