「近松心中物語伝説」のあとがき
はい皆さま、Bunnでございます。
前回・前々回と2回にわたってお届けしました「近松心中物語伝説」。プロデューサーのコラムの反響がこれ程までに大きくなるとは…小生思いもよりませんでした。
そんなわけでありますので、今回は小生が体験し、また実際にあった過去の裏話を思いつくままにお話しいたしましょう。
・舞台を飾った役者たち
1979年に初演を果たしたこの舞台は、現在上演されている博多座公演までに太地喜和子・山岡久乃という物故した役者も含め、延べにして約10万人という役者たちが出演したことになります。
ちなみにこれまでに忠兵衛(役)を演じたのは初演の平幹二朗から始まり井上倫宏・坂東八十助(現/三津五郎)、そして現在の阿部寛まで4名。梅川(役)は太地喜和子・田中裕子・樋口可南子・高橋惠子・富司純子、そして寺島しのぶの6名が演じています。
“「近松」フリーク”を自称するお客様の中には、19○○年に○○劇場で演った○○の忠兵衛、○○の梅川が良かったワ。などとおっしゃる方もいらして、そんな方達が集まった飲み屋のカウンターでは早速近松談義が始まって…。皆さまの中にも思い出に残る自分だけの“近松”を持っている方もいらっしゃることでしょう。
・命を削る大掃除
これまでに何度も云いましたが、この舞台の見所として欠かすことの出来ないものに一公演に2トンも降る紙吹雪と5トンの本水を張った川の演出(装置)があります。こうした仕掛けでお客様に喜んで頂けるのは私ども作り手にとっては勿論嬉しいことなのですが、とはいえこれを掃除するのはそりゃそりゃ大変なことであります。水(実際は下帯一つでこの川に飛び込む役者の為に、水温はスタッフの手によって熱湯を注ぎ足し注ぎ足しされ、適温に保たれています。)を張ったプールは掃除の度に当然水を抜かなければなりません。劇場によってはビルの上階にあるところもありますので、そんな場合は排水用の長いホースを使い、何時間もかけて水を抜くことになるのです。そして空になったところでようやくデッキブラシを持ったスタッフがゴシゴシと水垢を落としにかかるのであります。
雪に至っては実際に掃除をしてみた者にしか分からない辛さがありまして…。岐阜県の紙屋さんに漉いてもらった和紙は床一面に積もっているのは勿論のこと、客席の下といわず背もたれの板の隙間、加えてお客様に降った雪がその肩に乗って劇場ロビーやトイレにまで運ばれるのですから、その苦労は想像に難くないのではないでしょうか。また日によっては、昼・夜と1日に2回公演を行うことも当然あるわけで、そうなると、この大掃除をわずか1時間という限られた時間で一片残らずに片付けなければならないわけで…。ああ、思い出しただけでもゾッとする…。
いつかこの舞台公演が2ヶ月間ずっと続いたことがあって、その時は何人かのスタッフが疲労の為、病院で点滴を打ってもらってから劇場入りするなんてことがありましたっけ。
・忘れえぬ弔辞
日々戦いの連続だった劇作家・秋元松代氏の90年という壮絶なる人生の幕が下りたのは、奇しくも「近松心中物語」明治座公演の千秋楽の前日、4年前の4月24日でした。本来なら晴れやかであるべき千秋楽の朝、劇場入りしてから訃報を聞いた全スタッフ及び出演者の驚きと深い悲しみ…。あの朝の様子を表現する術を小生は持ちません。だって、ほんの数日前、千回公演の日には車椅子ではありましたがお元気なお姿でマイクを持ち、全出演者をバックに満員のお客様にご挨拶されたのですから…。いつもなら声を掛け合うそれぞれが皆俯き、視線を合わせようとしない。一旦言葉にしてしまったら、これから始まる伝説の舞台が本当の涙で勤め上げられなくなってしまうから。大声を上げて泣きたいのに、悲しい顔をして舞台に立ったら、きっと先生に叱られてしまうから。
葬儀はそれから1週間後、信濃町の葬儀所で執り行われました。その日は朝から冬を思わせるような冷たい糸をひくような雨が降り続いていました。
こちらの要求と葬儀社の計らいで式場には猪俣公章の作曲により森進一が歌う「近松心中物語〜それは恋〜」がエンドレスで静かに流れ続け、先生の亡骸を納めた棺には、細かい泡で出来た雪が天井に吊り下げられた機械から降り注いでいました。
式次第に沿って葬儀はつつがなくしめやかに進行していき、やがて先生と親交の深かった方達による弔辞が始まりました。先生の作品に出演した多くの役者の代表としては明治座公演で忠兵衛役を演じた平幹二朗さんが務められました。そして、最後にこう話しかけたのです。
「秋元先生、貴女は本当に厳しく生きてこられた方でした。ご自身の作品に絶対の自信を持ち、一言一句そのセリフを変更することをお許しにならなかった…。そしてその作品は本当に素晴らしいものばかりでした。でも先生、今日はほんの少しだけそのセリフを変えさせて下さい。そしてどうぞ聴いて下さい。『先生、私はよくよく、だめな役者や。かんにんしてや。私はこないな しょうもない役者で生きていくほかないねん。けど、先生のために、お客様のために、一所懸命努力して、ちっとはましな役者になるよってな。済まんけど、寿命のくるまで生かしといてや―!』」と。
大きな背中を揺らしながら号泣する平さんの姿に、そして不世出の名作「近松心中物語」の与兵衛の最後のセリフを変えて絶叫したその見事な弔辞に、式場を埋めた全ての弔問客はもうそれ以上、それぞれの涙を堪えることは出来なかったのです。
先生を知る役者は先生の作品の舞台に立つたびに、「今日の出来、どうでした?」と、今でも天国に行った先生に聞いているのです。
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