「近松心中物語」伝説のつづき
前回のつぶやきにてご紹介した「近松心中物語」伝説。
舞台写真を掲載したせいもあるのでしょう。ご覧下さった多くの方から「何故もっと早く紹介しなかったのか!」というお叱りの言葉を数々頂戴し、小生深く反省をしております。
そんなわけで、今回も引き続きこの伝説についてお話し致しましょう。どうぞお付き合い下さいませ。
では早速、前回お届けしたプロデューサーコラムの後半をお届け致しましょう。
待望の特別寄稿!プロデューサー/中根公夫氏より、『近松心中物語伝説』(後編)コラムをいただきました。
早速コラムへ ⇒ 『近松心中物語伝説』 (後編) プロデューサー/中根公夫
さて、伝説の舞台の一旦を皆さまにお伝え出来たでしょうか。
コラムに出てくる秋元さんとプロデューサーとのやり取りは、晩年ではありましたが生前の秋元松代さんを知る小生としては、何とも言えない感動を覚えるのであります。
秋元先生は兎に角厳しい方でした。それは勿論自分に、そして作品に関わる全ての他人に対しても。生涯独身を貫き、流行を追わず書きたいものだけを書くという信念を決して曲げることの無かったその生き方の中で、信じられないような武勇伝やさまざまな伝説を残されました。小生のような若輩が“知ったかぶり”をしてお話をすることは差し控えますが、許される範囲でほんの少しだけお伝えするとすれば、たとえばこの作品「近松心中物語」をお書きになる時、先生はまず上方語をマスターする為に分厚い方言辞典を入手し、当時の言葉を徹底的に勉強されてからのちに書き始めたとのことです。そして出来上がった作品はどこをどう読んでも完全なるもの。句読点の一つの削除も追加すらも必要のないものなのであります。時代が生んだ大作家とはいえ、本当に凄い方でございました。
さあ、博多での公演もすでに中日(なかび)を過ぎ、新しい伝説を作り始めたこの舞台も残すところあと僅かとなりました。皆様、万障繰り合わせのうえ、どうぞご覧下さいませ。
ちなみにチケットに関するお問合せは次の通りでございます。
◎博多座電話予約センター 092-263-5555(受付時間:午前10時〜午後6時 休みなし)
ではでは
〜プロデューサー紹介〜
中根公夫(なかねただお)
昭和37年(1962年)東宝株式会社入社。菊田一夫に師事し、舞台監督、演出助手、製作助手として、多数のミュージカル、演劇、レビュー等を担当。その間文部省派遣フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国際演劇大学を卒業、同時にパリ国立オペラ座にて研修。帰国後東宝に戻り、昭和46年にプロデューサーとなる。
昭和49年(1974年)演出家・蜷川幸雄を東宝に招き、「ロミオとジュリエット」を皮切りに「王女メディア」「NIAGAWA・マクベス」「テンペスト」「にごり江」「近松心中物語」「元禄港歌」等多くの傑作を製作、その他、山田五十鈴主演「たぬき」などの大ヒット作をはじめ百数十本の演劇をプロデュース。
昭和57年(1982年)以後、日本演劇の海外公演を推進、アテネ・エジンバラ・ロンドン、ニューヨーク等世界の主要な劇場、国際フェスティバルに進出。東宝に在籍中の昭和62年(1987年)、ポイント東京株式会社を設立し取締役社長に就任、現在に至る。
平成2年(1990年)環太平洋地域の舞台芸術交流を目指して国際舞台芸術交流センター(PARC)を設立、2003年に理事長に就任する。平成7年(1995年)東京国際舞台芸術フェスティバル事務局長(〜1997年)に就任、フェスティバルに併設して日本初の「芸術見本市」を創設。
他に、国際演劇協会(I.T.I)専務理事、2001年宮城国体の総合プロデューサー、2002年から東京都の委嘱でアジア舞台芸術祭の国際企画委員及びプロデューサーをつとめる。
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