| ぶたい制作日記 | 2004年9月24日(金) |
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「言葉は生き物だぞナ」 さて、本日は言葉についてちょいと述べさせて戴こうかしらン。 いえね、我がカンパニーの次なる舞台「ナイル殺人事件」でご協力を頂く 早川書房さんにお邪魔した時にふと、そう思い着いたのでございますヨ。 神田多町に本社を構える早川書房さんは皆様もご存知の通り、我が国の出版界に於いて、 ミステリーのジャンルでは他の追随を許さない大御所なのでありまして、 例えばアガサ・クリスティの作品を例に挙げると、版権が切れた作品以外に就いては、 翻訳・出版に於ける我が国唯一の権利所有者なのでございます。 (作者の死後50年を経過した作品に関しては、 原作の翻訳及び出版は誰の許可も得る必要はありません)とまれ、 打ち合わせに出掛けたところ、本社ビルの1Fにある喫茶店にはいつものように うず高く積まれた原稿用紙を前にし、赤鉛筆を片手に一心不乱に活字の海に 没頭していらっしゃる男性の姿があったのであります。 おそらく印刷に出す前の文字校正か何かをされていたのでございましょう。 机の隅に置かれたアイスコーヒーの氷はすっかり水と化し、 その手付かずのグラスにはお愛想にストローが刺さっておりましたぞナ。 出版会社に限らず、私の友人で永く雑誌の編集をしていた人もそうですが、 こういう方達はおおむね文字中毒に罹っておいでですナ。 溺れようが何をしようが(たとえそれがお仕事とはいえ)、 兎に角、言葉の中に埋もれている時こそが至福の時、そんなところでしょうか。 さて、大分遠回りをしてしまいましたが、言葉というものはそれ程魅力があり、 そして力のあるものなのですナ。これが言いたかったのでございますヨ。 ことばは言霊とも書く程、書き手の魂が込められた思いであり、そこには血が通い、 息遣いがあり、感情が備わった生き物なのでありますナ。 小生、高校の演劇部などに招かれましてお話をさせて頂くことなどもあるのですが、 そんな時に必ず言うのは「演劇とは、すなわち言葉。台本に書かれた言葉、 句読点の一つも見逃さないで欲しい。脚本家が命を削って生み出した 新しい生命をおろそかにして、演劇を言葉を使ったパフォーマンスにして欲しくない。」 ということでございます。私が学生であった20数年前から、既に“若者の活字離れ”が叫ばれ、 “乱れ行く日本語”を大人は憂いておりました。言葉が生き物である以上、 それは時代の変遷の中で少しずつ変貌し、意味も使われ方も変っていくものかも知れません。 しかし、生き物であるからこそ、それを愛おしいと思い、 大切にしていかなければならないことも確かです。 何だか今回小生はいつもより理屈っぽいことを言ってしまいましたが、そんな訳です。 皆様もお芝居をご覧になる時、役者の台詞が生きた言葉としてちゃんと耳に届いているか、 じっくりとお聞き下さいませナ。 ちなみに、60歳以上の男女に、「孫に残したい日本語は?」 というアンケートをとったところ、その第一位は、「ごちそうさま」であったそうナ。
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