中高年・シニアのブラジルの思い出 ブラジルイメージ

12.インフレ80%

11/09/17
By ADWH さん

ブラジルの農業当時のブラジルは工業国では無く農業国でした。政府も農業の振興を図り、農家に助成金を貸与していました。 しかし、ブラジル人の殆どは助成金を利用する事も無く、預金をして時間を稼ぎ、インフレによる余得を得る事に集中していました。
 
例外は、日本から移住して来た日本人で、彼らは誠実に農業の発展に力を注いでいました。私のブラジル滞在中初年度のインフレは50%でしたが、2年目には80%に達しました。
 
ブラジルでは、2ケ月毎に政府が公定のインフレ率を公表し、物価や給与等は全てそのインフレ率を基準にして計算するシステムになっていました。しかし、私は2ケ月毎では手遅れになると考え、1ケ月毎に事業計画を見直しました。
 
ブラジルの農業は日本人無しでは語れません。地方の農村を訪ねると、殆どの地で日本人が働いているのを目にします。黒人だけの村落もありますが、勤勉に働いている様子は見当たりません。
 
日本人は村落を作らず、分散して自分の土地で農業に集中していました。昭和初期の日本の農村を見る思いがしました。私が経営していた工場でも、ブラジル人だけではラインを維持する事は不可能でした。
 
ブラジル人だけで構成したラインは効率が悪く、採算性が見込めないのです。ラインの要所要所に日系人を配置しなければ、スムースな運営は不可能でした。
 
後年、日本の刑務所の作業現場を見学した事がありましたが、日系人のいないブラジルのラインとほぼ同じ雰囲気でしょた。
 
一人一人が完全に孤立した感じで、工程の前後関係に無関心で、言われた事を言われた様に作業を進め、結果の如何に無関心でした。ブラジルの作業員もほぼ同様でした。製品を生産すると言う意識が全く感じられませんでした。

※写真はイメージです。本文と直接関係ありません。

 


 

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