中高年・シニアの雑記帳

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Vol.4 〜遅延のその理由わけ

五月の声を聞き、芽生えた時にはあれほど頼りなげな色をしていた梢の若葉が、いつの間にか力量をもって生い茂り、鮮やかな緑に輝いています。

皆様はいかがお過ごしでしたか。前回の便りをお届けしてから既に一ヶ月以上が経過してしまいました。当サイト制作担当者からの再三に亘る催促に「もう少し待って」と繰り返し、随分と無沙汰をしておりましたが、今日は久しぶりにこの庵の雨戸を開け放ち、心地よい風でも引き入れましょう。どうぞゆっくりしていって下さいませ。

実は、この便りが遅くなってしまったのには些か理由わけがありまして・・・。無責任な爺の戯言ざれごととは申せ、この余りに稚拙な文章をお目に掛けることに、良心が咎めたのでございます。「何を今更」などと、おっしゃいますな…。これでも少しは羞恥心はじらいを持ち合わせておるのでございます。そう、この歳になっても。言い訳にはなりますが、本日はその理由わけ、年甲斐も無くコラムの掲載を躊躇した経緯いきさつについてお話致しましょう。

それは一月ほど前、家人を伴い両親のところに機嫌伺いに立ち寄った時のこと。既に齢80を超えているわたくしの父は、今だに好奇心旺盛で家にじっとしていることなどめったに無いのですが、そうした父が今迄どこに仕舞ってあったものか、四つ切に大きく引き伸ばした一枚の白黒写真を出してきたのです。写真の趣味を60年以上も続けている父は、これまでにも自身で撮影し、引き伸ばした写真を自慢の種として、時折り披露しては家族の皆を閉口させてきたのですが、この時見せられた白黒のそれは、わたくしが初めて目にするものでございました。かすりの着物を召したご婦人が、ワンピース姿の若い女性を背中から優しく抱きかかえるような格好で、こちらを向いて写っているスナップ写真。ニコニコしながらも、少しはにかんだその表情はどちらも幸せそうで、撮影された季節はやはり春だったのでしょうか、頬を照らす陽射しの柔らかさまで想像させてくれるものでした。

「どうだ、良い写真だろ」「これはこのカメラで撮ったんだ」と、今は博物館でしか目にしないような蛇腹の胴体をしたカメラ(普段は薄く折り畳み、使用時には蛇腹の胴体部を引き伸ばして立体化させる物)をいとおしげに撫で回しながらほくそえむ父に、長くなることが予想される自慢話の矛先を少しでも他に逸らせようと「これは誰ですか」と、尋ねると、カメラとその腕を褒めて欲しかった父は少しムッとした表情を浮かべ、面倒くさそうに「幸田こうだあやさんと玉子さんだ」と言うではありませんか。しかも、「これは当時親戚の中でも、特に親しくしていた彼女たちの家に遊びに行った時のものだ」と。写真のモデルの名前を聞き、さらにその人たちが親戚と聞いてわたくしが驚いたのは云うまでもありません。

文さんとは誰あろう、明治の文豪・幸田露伴の一人娘であり、玉子さんは文さんのこれまた一人娘。露伴は坪内逍遙・尾崎紅葉・樋口一葉などと共に活躍し、『五重塔』の著者としてつとに有名ですが、娘の文さんや孫娘の玉子さんにしても多くの著書を残した一流の文筆家です。(これほどのことをどうしてわたくしはこれまで知らなかったのか、いや、父は話してくれなかったのでしょうか……)

50年以上も前に撮られた一枚の白黒写真は、自慢話の種にしようという父の思惑には沿わなかったものの、別の衝撃と興奮をわたくしに与え、その日、久しぶりに母が用意してくれた夕飯もそこそこに引き上げたわたくしは、書棚の奥で埃を被っていた《国語総覧》なる資料を引っ張り出して予習をし、翌日、図書館から幸田文・玉子それぞれの著書を借りてきたのです。ところが…それらを紐解き、ページを繰ってゆくにつれ、この二人の文章に圧倒され叩きのめされることになったのでございます。ストーリーを追うこと以外、何の価値も見出すことの出来ない小説が横行し、またそれに慣れきってしまったわたくしが見た(読んだ)のは、余りにも美しい日本語。虚飾に満ちた言葉など一切無く、我々普通の日本人が日常使い慣れ親しんだ何気ない言葉が綴られているだけなのに、それは詩情に溢れ、豊かで、深い意味を伴った文章でございました。餓鬼の時分から自らを作文が得意であると信じていた私は、見事にその生意気な鼻っ柱をへし折られ、トドメを刺されたのでございます。

今更あの難解なる『五重塔』を紐解き比較するまでもなく、美しい文章を編んでいくという、余人が模倣まねすることの出来ない才能という形によって露伴先生の血は娘に、そして孫に受け継がれていたのです。血縁ではないにしろ、そんな幸田家と親戚筋にあたるわたくしも、叶うことならその天賦の才能の百分の一、いや一万分の一、ほんの少しだけでもあやかりたいものでございます。しかし、まずは顔を洗って出直しということになりましょうか…。いや、コラム掲載の遅延の言い訳ごときでこれほど長く駄文を連ねるようでは、顔どころか全身滝に打たれるべきかもしれませんね。

ちなみに父の言によれば、玉子さんはかつて露伴先生や文さんが住んでおられた小石川の家に今もお住まいとのこと。父よ、一度あの有名なむくの木を見物しがてら伝通院に向かう坂の途中にあるという、そのお宅に連れて行ってもらえませんか。貴方も古いあの自慢のカメラを持ってゆかれたら宜しいじゃありませんか。きっとまた良い写真が撮れる筈ですから。 

権兵衛







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