中高年・シニアの雑記帳

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VOL.3 〜食の作法〜 

ようこそお出で下さいました。ここまでの道すがら、駅前の桜も、土手沿いの並木の桜も大分咲き始めておりましたでしょう。冬が長く寒かった分、今年の春は美しくなりそうです。散歩するにはもってこいの季節ですね。では本日も早速与太話を始めると致しましょうか。

突然ですがあなたさまは蕎麦という食べ物はお好きですか。「健康・健康」と何処に行っても声高に云われる昨今、ミネラルを豊富に含んだ自然食品である蕎麦は老若男女から愛されているようですが、そもそもこの蕎麦というものを現在のように麺棒で薄く伸ばし細長く切って食すようになったのは、戦国の世が落ち着いた徳川の時代であったようです。

戦いが止み天下泰平となった当時の江戸は人口100万人を超す世界最大の都市であったそうですが、後に国の基盤を根底から揺るがすことになった黒船来航までの250年間、これは食〈文化〉も芸術文化などと同様に成熟した時期でもありました。こうした世にあって職人の研鑽と人々の要求によって進化していった食べ物は数多くございますが、わたくしはことのほかこの蕎麦というものに目がありません。出来ることなら一日一回は食したいと思っております。

ちなみにこの蕎麦という代物しろもの、落語の中では最も多く登場する食品でございまして、噺家さんにとって“如何に本当に蕎麦を啜っているように見せるか”が、噺の出来を左右する大切な芸の一つでもあります。近年の噺家さんの中では〈既に物故されましたが〉古今亭志ん朝はこの芸が上手でした…。いつだったか同業の噺家さんが申されてましたが、志ん朝という人は本物の蕎麦を食す時も見事だったそうです。

背筋をこうシャンと伸ばして、盛られた蕎麦の山のてっぺんを箸でもって少しつまんで持ち上げ、末端を一寸汁に浸して一気に〈ズズッツ〉と啜り、噛むか噛まないかのうちに飲み込む。そして喉を通った蕎麦が胃の腑に落ちたころには箸はもう次の蕎麦をつまんでいるというふう。噺家としても一流でしたが、志ん朝のそれはきっと絵に描いたように綺麗な食べっぷりだったんでしょう。

蕎麦好きなわたくしは流石に自分で打ったりは致しませんが、外出先ではよく蕎麦屋に入ります。そして注文したものが出て来るまでのあいだ周りをぐるっと見回し、他のお客の作法〈食し方〉を眺めるのが好きなのですが、近頃は綺麗な食べ方をされる方がめっきり少なくなりました。〈これもれっきとした文化の喪失でございます〉ですから、ほんのたまにこの流儀をきちっと身に付けた御仁に出会った時などは嬉しいですね。

いつだったかは忘れましたが、このわきまえを持った初老の紳士にお会いしたことがあります。池波正太郎さんほどダンディではありませんでしたが、若い頃の真摯な働きっぷりを物語るように、皺が深く刻まれ節くれだったごつい手をして蕎麦を啜るその様子の格好良いのなんのって…お見事でございました。IT長者だかヒルズ族だか知りませんが、汗をかいたことも無いくせに〈自分は勝ち組〉だなどと威張っている奴等や、私利私欲の為に障害者の為の施設を平気で壊してしまうようなホテルオーナーなどに到底こんな粋の良い喰いっぷりは出来ないでしょうな。食事作法には人間の品格が出るものです。金の亡者となるような下賤〈無粋〉な輩はたとえ大金持ちになったところで上等にはなれません。

わたくしは関西にあまり馴染みが無いものですから分かりませんが、あちらはあちらでうどんを啜る時にもきっと格好の良し悪し〈流儀〉はあるのでしょう?今度関西に行った折りにはうどん屋に入って、グルッと周りを見回してみましょう。

さて話は逸れますが、テレビ番組の中に程度の低いレポーターがあちこちの話題の店に行って、その店が出すメニューをレポートするというのがありますでしょ。効率よくロケをする為に一日に何軒もの店をハシゴして、どう考えても殆どを残して〈喰い散らかして〉来ているに違い無いというものです。こうした低俗な番組の中でレポーターは決まってこう云うのです、「やわらか〜イ!」と。皆さまもおそらくお聴きになったことがあるでしょうが、あれは一体何なのでしょうかねぇ。おそらくこやつらはそれが褒め言葉だと信じているのでしょうけれど、何でもかんでも柔らかきゃ良いってものじゃないでしょう。

食べ物には皆それぞれに食感というものがあり、“歯ごたえ”もまた大切な味の要素なのですよ。いつだったか、本マグロの刺身を口にしたレポーターが、「やわらかーイ!」と叫んでおりましたっけ(嘘じゃありません)。そんなに柔らかい食い物が好きなら、朝から晩までガムでも噛むか、それこそ豆腐屋に行って豆腐の角に頭をぶつけてみたらいいんですよ。

食というものはその国の最も基本的な文化であります。日本人である以上、和食を食す時くらいはきちんとした作法で美味しく頂きたいものですな。ああ、こんな話をしていたらなんだかまた蕎麦を啜りたくなってきてしまいました。どれ、今回はこの辺で切り上げてちょいと出掛けてみようかしらん。

ちなみにわたくしの行きつけはこの庵のすぐ傍にある立ち喰い蕎麦屋でしてね…立ち喰いと云って馬鹿にしちゃあいけない、これがめっぽう旨いんですよ。わたくしはこの辺りでは一番だと思っています。大したこともないのにやたらと敷居が高い蕎麦屋もありますがね、わたくしはああいうのが大嫌いなんです。だって、たかが蕎麦じゃありませんか。だから、旨くて安い方が良いに決まっているんです。大切なのは何を喰うかではなくて、どう格好良く〈粋に〉喰うかっていうことですよ。でけりゃ作ってくれた職人さんにも、お百姓さんにも申し訳ないじゃぁありませんか。さあ、今日はどんな格好の良い御仁にお会いできるでしょうか・・・ 

権兵衛







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