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結婚恋愛「マイとボク」タイプ繁盛記B-96-
By 千里一歩さん


昭和50年


タイプを打つ人をタイピストという。タイピストといえば、ほとんど女性である。戦後、女性の花形職業といえば、バスガールでありスチュワーデスであった。女子社員をOLつまりオフイスレディーと呼ぶようになったのは、昭和40年代である。そのOLの中で花形ポジションは受付嬢であり、タイピストであった。受付嬢は美人でさえあればよい。しかしタイピストは特殊技能の持ち主と位置付けられていた。

それは、平成20年の現代、パソコンのできる女子社員が、めずらしくないのに比べると、はるかに特殊な技能者であった。タイピスト養成学校があり、1級2級の技能資格制度もあった。当然、給料も高い。オフイスでも社内連絡はすべて手書きの時代だ。

いまでもタイプが使われるところがある。それは文書の一部に、名前だけを打ち込む時である。運転免許書更新所で見たことがある。しかし都バスのシルバーパスカードは、いまでも手書きで名前が記入される。タイプかパソコンで打ち込めよといいたいところだが。まわりが進歩しているのに、再び後退している技術もあるから、世の中面白い。

戦後、活字文化が花開いて印刷業が増えた。活版印刷だけでなく、ポスターなどオフセット印刷が技術の幅を広げた。庶民の多くが媒体文化に魅力を持ち、それを身近に活用できることを求めた。役所では戸籍謄本や会社謄本が手書きから活字、つまりタイプ活字に変ってゆく。手書きは不正確な場合があるが、タイプ活字でも活字である。正確さがある。しかもタイプが打てるタイピストは一役所に一人か二人しかいなかった。

印刷屋でもないのが活字で文書を作成できることは、きわめて価値が高かった。一般的に活字によるものは活版かオフセット印刷しかつくることはできない。ちょっとした名刺でも1週間。昭和50年代の当時でも100枚2千円から3千円。案内状は角丸カード、封筒込みで100枚1万5千円だった。しかも5日から7日間かかる。いずれも急ぐ場合は特急料金をとった。こうした100枚から500枚程度のものは軽印刷が普及するまで謄写版であった。高齢者なら覚えているだろう。戦後の昭和30年ごろまで、謄写版が小印刷の主流だった。ボクは中学2年生の時から、この謄写版をよく使った。2ミリ方眼に鉄筆で文字を書くことができる。新聞もつくった。

その点、同じ世代のマイは、文章を書いたのは作文だけ。印刷のイの字も関係のない育ち方をした。そのマイが2年間、必死になって覚えたタイプで稼ぎはじめた。1日3万円平均でも月に70万円は売り上げる。新しく入った女子従業員も少しずつ覚えてきた。さらに下請けのネットワークも確立して、少なくとも月100万円以上は越えるようになった。民間サラリーマンの平均給与が月35万円の時代であった。


(つづく)


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