| 結婚恋愛「マイとボク」タイプ繁盛記@-94- |
By 千里一歩さん
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出張が多くなると、当然、マイは一人で事務所を守る。どこから電話があるかわからない。朝9時から夕方5時までは、ずっと留守番しなければならない。はじめのうちは「よおし、まかせて!」といっていたが、次第に退屈するようになった。「せっかく神田にいるのに、この界わいで、どんなお店があるか知らない。一度ゆっくり時間を気にしないで、食事をしたり、買い物もしたい」という。「わかった。そろそろバイトをおこうか。そうしたら、いつでも外へおつかいに出られるじゃないか」と提案した。マイの目が輝いた。
「そのぶん。私が稼ぐよ。タイプの仕事がふえてきそうだから、ラクにバイトを雇うことができるわ」という。マイが、タイプの仕事に意欲をみせたことで、事務所は一気に活気をみせることになった。「外出したい」という話が、事業拡大につながるとは夢にも思わなかった。この古びた建物の1階の入り口の上に、四角い突き出し看板がある。赤と青の文字で「三報企画」という表示をしていた。三は三井から、報は広報の報からとったものだ。企画としておけば幅広い仕事ができそうだが、何の商売かわからない一面もある。この看板は遠くからでも、よく見える位置にある。ところが、その看板を見て新規の飛び入り客が来る、ということは皆無だった。
ボクは、マイがタイプライターになれてくると、その看板を塗り替えた。タイプという文字を大きくしたのである。しかも夜光塗料にしたから結構目立つようになった。会社名と電話番号を下に小さく入れておいた。これは意外な効果を生んで、飛び込み客が時折入ってくるようになった。それだけではない。1階の居酒屋の店主、隣の喫茶店から紹介されてくる客が少しずつではあるが増えてきたのである。
当時はタイプライター最後の最盛期。活版印刷で「端物」と呼ばれる100枚以下の印刷物の版までも、こうしたタイプに頼ることが多くなった。また会社の定款、二枚複写の内容証明、議事録、お知らせなどは、タイプライターの独壇場であった。パソコンのない時代である。コピー機がようやくオフイスに出回り始めた頃だ。コピーをとりにくる客も結構ふえていた。
マイは、独学でタイプライターを覚えていた。こういう仕事はあまり得意ではないが、一台100万円以上もする機械を備えると「覚えなければ、もったいない」と必死になって覚えてしまった。そしてスピードもアップして、すっかりベテランになったのである。機械は臨時バイトなどのためにも5台買うまでになった。この時の機械1式は、平成20年の現在でも住まいの押入れにある。じゃまになるが、棄てられない。
(つづく)
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