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振り返れば楽しきかな我が人生 人生イメージ


結婚恋愛「マイとボク」出張A-91-
By 千里一歩さん


すっかりベテランのタイピストになった頃
3社は契約する前に責任者が必ず私の事務所を訪れていた。ボクは{編集代行します}というDMを出している。ところが事務所は6坪。社員はマイが一人。とても信用してもらえるような事業所ではない。M銀行の室長や担当者が、よく来てくれるものだと不思議に思うくらいである。なおさら人間を信用してもらうしかない。マイは、ボクの仕事がデリケートであることを知るようになった。来訪者があるときは全神経を傾注して好感を与える努力をした。それは見事にゆきとどいた。とくに電話受付は文句なしだ。

 F出版社は女性編集長であった。いまでも活躍中である。ボクより10歳以上若く、当時のボクは40歳。彼女はまだ20代であった。F出版社は親会社が旅行代理店である。そのトラベル会社社長が高齢者時代に着眼した。老人客を確保したい。間接的なPR手段として月刊誌を発行していた。その編集長に起用されたAさんはプロの手を借りたいと思いボクを訪ねて来た。

Aさんはボクと会話している時は厳しい表情を見せたが、マイがお茶を出したり雑談する時は、別人のように、なごやかな笑顔をみせた。ボクよりマイが信用された。いらいF出版社の数ページを引き受けることになった。F社は間もなく採算がとれないと社長が手を引いたが、Aさんは自分が社長になって見事にF社を存続させた。ずっと独身のはずである。いまや、そのへんの男には、マネのできない経営者となっている。
 
Pデザイン会社は事務所から歩3分のビル2,3,4階にある。P社長はボクが不在の時、事務所を訪れていた。品のあるやさしい人柄の社長なので、マイも緊張せず会話が出来たという。「では明日、主人が伺います。よろしくお願いします」と帰した。ボクが翌日P社長に面談すると「いい奥さんですね」というのが最初の一言だった。契約する時、社長はぼくに部長格のEデザイナーを紹介した。「以後、Eと組んでください」という。彼は日立製作所を担当するベテランのグラフィック・デザイナーであった。ボクは、ここで「ゴールデン・プロポーション」など教わり、デザインの初歩を習得した。
 
M広告代理店とは、もと力士のような大柄の青年社長が、汗をかきながら、事務所に入ってきたのがはじまりである。本社は秋葉原駅東口近くにあった。ボクはここで夕刊紙のPR記事広告(1ページ)を担当した。1本いくらでなく、顧問料という名目で月給制になった。記事広告は得意だから、楽しんで仕事ができた。「赤ちゃんの手形を美術工芸品に」という代理店募集などと、ちょっと怪しいシステムのスポンサーであったが、ボクの記事は効果的で、会社は一時期大儲けしたことがある。この広告代理店の青年社長は、ボクへの支払いを銀行振り込みにした。ここもマイの影響があるのではないかと思った。

(つづく)


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