
奈良のドリームランドにて。
マイと米国人家族。(昭和41年)
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マイが、父親や兄の心配をよそに、なぜボクを信頼したか。は、決定的な理由がある。それは、のど自慢でも、口説きでも、デートでも、ボクの将来性にユメを持ったから、だけではない。
入籍する前、わずかな預金ではあったが、ボクの預金通帳と印鑑をそっくり渡したのである。その預金は、新婚生活のはじまりで、たちまちなくなったが、ボクなりにすべてをマイにゆだねたのである。もちろん給料は明細書をいれたままそっくりわたしている。中身は少なくても、これで何でも話せる、お互いに、隠し事はしないという暗黙の信頼関係ができあがった。それいらいボクの小使いはいつもボクの知らない間に、財布に入るようになった。
この習慣は40年以上続く。大体、2〜3万円だが余裕のある時は「外で誰と会うかわからないから」と5万円入れ続けていたことがある。「そんなに入れなくてもいいよ。持っていると出さなくてもいい場合でも使うから」といったこともある。「何があるかわからないのだから、恥をかかないように持っていればいいじゃない。出さないでいい時は、使わなければいい。全部使えというわけじゃない」という。
「それは、そうだけれど」といいつつも、やはりつまらないものを衝動買いしてしまうことがある。ボクは酒や女遊び、ギャンブルの類を一切しない。後年約7年間、スナック通いをしたが、いつも自分はウーロン茶で、話し相手のホステス嬢にはビールと決めていた。趣味はカラオケだから、そのぶん、二千円以上使っていたことはある。この話はのちにもう一度くわしく話したい。
マイと結婚して変化したことがいくつかある。最大の異変は食事生活だろう。毎日、夜8時くらいまで仕事の打合せがある。それは時間的に食事も出るということだ。が、マイは、どんなに遅く帰っても、電器釜を空焚きしたり、料理の本を読んだり悪戦苦闘して一生懸命、たくさんの食事をつくっていた。その出来上がった膳をみると、とても「食べてきた」とはいえない。いえば、そっくり捨てることがわかっているからだ。
マイは、それが自分の役目だと思っている。食べなければ、もう二度とつくってくれないかも知れない。腹いっぱいだが「食べてきたの?」といわれても「いいや、おなかは空いている。これは、おいしそうだ」と、さもうれしそうに食べなければいけない。早めに帰った時だ。「ビフテキを食べたいな」とうっかり話したことがある。
その翌日から毎晩、ぶ厚いビフテキが出た。10日ほどすぎた頃、みるみる太って胃が痛くなった。たまらなくなって医師の診断をうけると「急性胃炎」「心臓肥大症」という結果がでた。さすがに翌日からビフテキ地獄はなくなった。しばらく小食になったが、今度はご飯を3杯平均食べることになった。当然、おかずもたっぷりつくられる。
「量が多いかも」というが「沢山つくらないと、おいしくない!」という。大家族で育ったせいだと思い、あまり反論しなかった。むしろ、この生活の違いに幸福感を覚えていたのかも知れない。むずかしく考えなければ、楽しい。ままごとをしている。おいしいものを食べて、笑って暮らせることが何より楽しくて仕方なかった。まだ若いし、いつどうなるか、いつ死ぬかわからいのだから、出来る時は夫婦で好きなことをしようというのが二人の共通した意見であった。
だからお金についても、ある時は使い、ない時は使わなければいい、という考えである。ボクが神経質でないことが、この考え方を助長する原因であったと思う。家庭のことは一切、口出ししなかった。そうすることでマイが明るくなってくれれば、そのほうが大切だと思う。
ボクは一度に沢山食べておくと、まる一日何にもいらないが、「沢山つくらなければおいしくない」というマイは、胃が小さく、一度に沢山食べられない。少しずつ、一日に何回も食べるくせがついている。だから食卓でマイのぶんが残ることが多い。その残りを食べろというから、捨てるならもったいないと、マイのぶんまで食べていた。だから、ますますボクは太り続けた。マイの料理は上手だが、時々まずい時もある。それでも「うまい」と食べていたから、ついに20キロ以上増えてしまった。こうしてボクは白豚またはダンプ、マイはミニダンプまたはサザエさんと冗談をいうようになった。
食事といえば、一度ボクが手打ちうどんをつくったことがある。マイが風邪で寝ていた時だ。お膳にビニールを張り、小麦粉を練って伸ばし何とか包丁で細く切り、味噌を鍋にとかして沸かし、何とか味噌うどんをつくった。この様子をみていたマイは途中から起きてきて心配そうに手伝いはじめた。ホウトウで育ったというマイだから、手打ちうどんは感激するだろうと思ったが、ダシ汁もなければ、カボチャや、ゴボウも入っていない。マイは一応「おいしい」と食べてくれたが、部屋中が小麦粉だらけになり、翌日の掃除が大変だったと、あとから聞かされ、それいらいボクは二度と台所に立たせてもらえない。
調理は知らないが、調理に興味はあるボクであった。ただし後始末が面倒くさい。その点、A型のマイは食べた後の始末がじつに徹底している。微量な汚れも見逃さないし炊事場はどれもピカピカにしなければ落ち着かない。ボクが食べ終わるのを待って、すぐ洗いはじめ、残すものはすぐラップをかけ、冷蔵庫へ入れる。洗濯が好きで、ボクの実母とは正反対であった。おかげでボクは次第に清潔な肌着も着るようになった。
肌着といえば、マイがはじめてボクのパンツを見た時、あまりにも汚れてドロドロしていたので、捨てようか、記念品として保存しようかと迷ったそうだ。もちろんボクのパンツは新品になり、ドロドロパンツは捨てられた。
(つづく)
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