| 結婚恋愛「マイとボク」 -36- |
By 千里一歩さん
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ホテルで朝食をとり4人は病院へ向かった。約束の時間に担当医と面談、父の脳をCTスキャンで検査した。マイとボクは、そのフィルムの白い空白部分を凝視した。ボケが形でわかることに驚いた。同時に父の症状が末期的であること知り複雑だった。
入院契約のはじまりは顔写真の撮影だった。父はちょっと気どった顔をした。若い時から「いい男」といわれることがあった。まだ、おしゃれっ気が残っている。長い人生の中で、ボクにはじめて見せる、おどけた表情であった。
「それでは、行きましょうね」と看護婦が迎えに来た。父は手をにぎられて、うれしそうに歩いていった。その後ろ姿をボク達は廊下で見送った。正面奥の扉を開いて入る姿が何とも、いとおしかった。毎月、見舞いに来なければと思った。
翌月から見舞いがはじまる。できるだけマイと二人で行った。マイは父をあやすのが上手で、手をつなぎ廊下や休憩室を「ランラン」と歌いながら歩いた。とてもボクにはマネができない。3度目の時。父と休憩室で会うと、まじめな顔で「どなたでしょうか」といわれた。マイは覚えているのに、である。つぶれるような胸を抑えて「何かほしいものある?」と聞くと「煙草が吸いたい」という。喫煙は禁じられている。が、面接室では自由である。煙草3本渡して、ライターで火をつけてやると、おいしそうに深く吸っていた。
3本吸い終わった時、目つきが落ち着いてきたので「ボクが、わかる?」と聞いた。父は何を言うかという顔で、ボクの名を正確に呼んだ。煙草は脳神経を刺激してボケを一時的に治してくれたのである。
ボクが忙しい時は、マイが一人で電車、バスを使って田んぼの真ん中にある大きなSS病院を訪れていた。「実の娘でもできないことを」と看護婦達に感心されていた。
平成3年10月29日。父はベッドに横たわったまま酸素吸入器をあてられていた。様子がおかしい。顔に傷がある。看護婦の話では「最近はおばあちゃんのフレンドがいて楽しそうにしていたのですが、きのう廊下で暴れて別室に移しました」という。目を閉じているがマイが手をにぎると、おそろしい力で握りかえしてきた。表情では苦しんでいない。甘えているのだと思った。ひとまず自宅へ帰った。すると1時間もすぎないうち、SS病院から電話があった。「お亡くなりになりました」という。
車で約2時間。再びSS病院を訪れると、もう父は安置室に置かれていた。埋葬の手続き、葬儀の段取り、病院への支払いなどの打ち合わせで、悲しむどころではなかった。葬式の形は整えたが、マイの親戚、ボクの関係者には一切知らせなかった。生前の父を知らない人には迷惑だろう。この時のボクが喪主なら葬式に300人は集まったと思う。所沢市にいるマイの友人一人に付き合ってもらい、三人だけで通夜をすごした。享年86歳だった。
母には知らせなかった。母も入院していた。
(つづく)
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