| 結婚恋愛「マイとボク」 -3- |
By 千里一歩さん
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2人16歳のとき |
翌日の夜。私の両親に「好きな娘がいる」と打ち明けた。その翌日、両親は私に無断で彼女の勤めているレストランへ行った。麺類を食べ終わった両親は、私の情報で「あの娘だ」と一目でわかったようだ。「私は○○の親です。お世話になっています」と声をかけたから、彼女は飛びあがるほど驚いた。想像と違った。彼女が想像していたのはバリッとした品のよい謹厳な両親だったらしい。
私の父は占い師として不安定な仕事を続けていた。はじめて来た私の父は母に自分の食べ残しを「おうち食べんね」と長崎弁で話すので「いいなあ」と、その様子を見ていたらしい。それがボクの親だとわかり「なあんだ」とがっかりするどころか、かえって気楽になったようだ。店主の諒解を得て彼女は、はじめて私の両親と同じテーブルについた。
彼女が家出したのは、家族に不満があったわけではない。嫁入り話から逃げたのは結婚相手に不満があったわけでもない。土地持ちだが舅との同居と畑仕事の労働力としかみられなくなる人生が最初からわかっていた。農家の嫁になると早朝から起き、家族の面倒をみて、子供を生んでも、すぐ畑に出なければいけない。
彼女の実母は彼女を出産後、舅から「いつまでも寝てないで仕事を手伝え」といわれ、3日目に意地を張って畑仕事へ出、一か月で他界していた。母の妹が後妻に入り、彼女を自分の子のように育ててくれた。それでも実母の二の舞いはごめんだという思いがある。
しかし心配なのは都会にはじめて出て男にだまされることだ。それが、男の両親のいきなりの出現である。これで安心したかも知れない。私の母は「隆子に似ている」と思い「可愛いい娘さんが息子とつきあってくれるのはうれしいけれど、うちの息子と結婚したら苦労するよ。それでもよければ」と語ったという。
若い彼女は「はい。よろしくお願いします」と答えた。彼女には予想もつかない苦労の人生がはじまるのだが。若さは自由の危うさを選んだ。数日後、彼女が「1日でいいから、私の実家に行ってくれない?」という。私は小さな会社とはいえ結構多忙だったから社長に諒解が要る。やっと許しを得て交通費程度の金を持ち「いまカネはない。何の土産もなくていいの?」と答えた。
彼女は「何もなくていいから、とにかく実家に来て」という。いいのかなあと思いながら、とにかく親に会うことが必要だろう。その他のことは、あとで何とかなると新宿駅から松本行きの、急行電車に乗った。
武田信玄で有名な山梨・甲府は、生まれてはじめてであった。彼女は緊張している。実家の反応は電話でもあまりよくない。それでも一つ一つきちんと物事をすすめなければという意気込みがあった。彼女の行動力に引きずられるように、電車はいくつかのトンネルをくぐり、山と谷と富士山の姿を眺め、ユメを見るような気持ちで、山野の緑の鮮やかさに吸い込まれていった。
彼女の実家につくと意外に歓待された。まず、面白かったのは、大広間の真ん中にすわった時だ。次の間との間に襖がある。その襖が両脇に開かれ、右から姉や妹、姪が一人ずつ出てきて挨拶する。舞台でいえば下手から上手へ。一人ずつ登場しては左へ隠れる。7人くらいになると次第に小さな子供になるから、おかしい。
みやげは彼女が用意して、ボクからだと両親へ渡した。彼女の父に会った。農家の親父で小柄だが、眼光は鋭く、昔の地主とは、このような人物なのだろうと思った。言葉の用意もしていないまま「○○子さんを育ててこられたことを無にしないよう大切にします」と、はっきりいった。本音ではある。
「そう、いってくれれば」と答えてくれた。それでも半信半疑な思いがにじみ出ている。彼女の母親が笑顔で世話をしてくれた。義母はやさしくボクを疑うことはなかった。ほっとさせてくれる。兄とも向かい合ったが、やはりボクには違和感があるようで、あまり話をしなかった。時々、彼女の姿がなく、一人で、じっとする時間があり、居心地がよくない。その間、彼女は父や兄から「本当に大丈夫か。いまからでも遅くない。考え直すことはできないか」と別の部屋で問われていた。
「大丈夫だよ」と彼女は元気に答え、ボクと結婚する意志に変わりのない姿勢を貫いた。「私は信じているから」と断言している。義母の計らいで、近所に「○○子が東京で結婚しますので」と饅頭が配られた。ああ、やはり社長から借金してでも結納金と東京土産を持ってくるべきだったと後悔したが、もう遅い。
とにかく彼女は認めてもらうために親兄弟へ細心のこころ配りをしていた。ボクだけがポカンとしていた。夜食も喉を通らなかった。静かな雰囲気に疲れてきた。義母と彼女がボクに気を使ってくれた。その夜、彼女と外へ出て月明かりの下、田舎道を散歩した。無性に彼女を抱きたくなり、麦わら小屋の中に入って抱擁した。
帰って寝る前、トイレにいきたくなった。庭先の便所小屋に入ると昔ながらの糞壷の上に板があるだけ。ところがチリ紙がない。そこへ大便の最中、彼女がチリ紙を持ってきてくれた。異性に、こんなことをされるのは、はじめてのことだ。はずかしいと思い、ああ、これでいくら見栄を張ってもだめだ。すべて頭があがらないぞとショックをうけた。
翌日、近所の何軒かに挨拶まわりし、実家を離れて甲府へ向かい帰京することになった。彼女の父や兄の不安をよそに、姉や妹達、姪達は、無邪気に笑って、ボクを見送った。甲府駅から新宿行きの急行電車に乗り、今度はゆとりのある気持ちで窓外を眺めていた。が、彼女は生家や家族と別れた日であった。
電車が大月あたりを通りすぎた時。彼女が急に泣き出した。後悔しはじめたのか。
「どうしたの。何か心配があるの?」と聞き、どうすればよいか、わからなくなった。彼女は、しばらく答えがない。涙は止まらなかった。思いきり泣いたあと。「何でもない」という。それ以上のことを聞く勇気はなかった。これからおカネにゆとりができたら、できるだけのことをしなければと、決心した。この時のマイの涙は、死ぬまで忘れることはできない。
(つづく)
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