| 結婚恋愛「マイとボク」 -29- |
By 千里一歩さん
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花見 |
昭和60年4月。国土庁が全国都市の地価公示を発表した。この1年間で地価が2、4%上昇した。これで5年連続の上昇は鈍ったという。右肩上がりの高度成長経済時代が少し大人しくなった。だが、みんなが中流家庭と自覚していたこの時代は経済格差が生まれはじめた時代。
その末路を象徴する事件が大阪で発生した。豊田商事事件だ。同年6月18日、マンションの1室に引きこもった永田一男豊田商事会長(32)の部屋に、男がドア横の窓を壊して入り込み永田を殺して出てきた。マスコミ各社30人がその犯行の直前直後を眺めている。私も唖然とその画面を観ている。社会の何かが狂いはじめていた。
ボク達はわずかな貯金で満足していたから大きな欲もなく、リスクもなかった。「あくせく働いても、いつどうなるか、わからないし」というのがボクとマイの同じ意見であった。小さな幸せがあれば、あとはこまめに努力していく。仕事さえしっかりやっていれば、それでいい。そのような古臭い考え方で満足していた。ラクをして儲けるという感覚を嫌いだったし、マネーゲームを軽蔑していた。ところが時代は大きく変わりはじめていた。
友人S夫婦と久しぶりに「上野の花見に行こうか」ということになった。友人Sは中学生時代からの友人で多様な思い出がある。友人Sは世渡り上手なところがあり、昭和40年頃から錦糸町で流しを続け、当時1晩で軽く1万円以上稼いでいた。その後インフレになって昭和60年のサラリーマン年収は280万円。彼の年収は1千万円であった。おまけに納税に苦労することもない。個人的な水商売は表も裏もおいしい世界だ。
ボク達の稼ぎは年に3千万円だったが従業員の給料、印刷代などの支払い、事務所の家賃・経費、納税を考えると、個人所得では友人Sのほうが、はるかに上であった。
この上野公園で友人Sはボク達のために歌ってくれた。ごちそうにもなった。彼も写真撮影が好きである。ボク達を撮ってくれたのが、この1枚だ。ところでマイが驚いた顔をしているのは理由がある。ボク達の目線の先にはホームレスが立っている。
当時はまだホームレスという呼び方はなく、乞食という呼び方であった。乞食とホームレスは異なるが重なる部分もある。じつは上野公園の入り口近くで、マイがこの汚れた放浪人に「気の毒だわ」と、どら焼き入りの箱を渡した。その直前ボクは反対していた。
「よせよ。彼らにもプライドがある。余計なことはするな。そういう気持ちを持つなら毎日してやらなければいけない」と。しかしマイは、自分が幸せな気分でいるところに不幸を絵に描いたような人を見ると黙っていることができない。従業員や親戚の若い娘や息子達にも片っ端から小使いや服を惜しげもなく渡す恐るべき性癖がある。だが他人へとなると、喜ばれるどころではなかった。
彼は花見の席にいるボク達を探し当て「こら!馬鹿にするな!」とからんできたのだ。ボクと友人Sの二人で彼をなだめ、千円札を渡して大人しく帰ってもらった。この時いらい、マイは他人に半端な同情をしなくなった。
以後、上野公園には行っていない。この頃からカラオケが流行し友人Sの職業も消えてしまう。世の中は音を立てて激変していた。
(つづく)
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