| 結婚恋愛「マイとボク」 -22- |
By 千里一歩さん
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昭和56年、東京A区に移住した。 |
昭和57年。今度は山梨から義兄の娘C(19)が上京してきた。Cは5歳の時、父親に連れられて京都にいたボクとマイを訪れ、2泊したあと大阪駅から帰ったことがある。ボクがしつこく撮影し続けたので、Cにすっかり嫌われたことを思い出す。この時とばかりマイはCの服を新調し歓迎した。
それから約13年。Cは美しい娘に成長した。マイは兄から「Cが東京に行きたいという。自立できるよう面倒みてくれないか」と相談されていた。マイは「大丈夫だよ。まかしといて」と胸をたたいた。人の面倒をみるのが並外れて好きな性格である。ボクも他人の世話をすることを嫌いではない。多少見栄っ張りな夫婦であった。それに結婚早々マイの実家や兄に心配かけたことも忘れていない。また「人の面倒を見ることができて、はじめて一人前だから」という思いが強い。
「いまなら、できる」とも考えた。何より兄の役に立つことがうれしかった。そうしたマイの嬉々とした表情をみるとボクも幸せな気分になる。だがCが上京する日が迫ると思わぬ悩みが湧いた。「もう色気がある。こっちで慣れてきた時、変な男にだまれては困る。うちの事務所では甘やかして本人のためにならないし東京で就職する先を見つけ自立させなければいけない。本人も自立はしたいに違いない」と真剣に話し合った。そして「子供がいれば、こういう心配がつきないんだろうね」とうなづきあった。
すっかり大人になっているが半分は子供だ。高校生時代はラジオの学生パーソナリィーに週一の割合いで出演していた。歌手のマッチにインタビューしたことが自慢である。頭は悪くない。3か月はのんびり過ごし東京の地理から覚えてもらわなくてはならない。ともかく、わが家に同居することにした。Cは兄の大事な娘であった。自分達の若い頃を思い出した。「考えてみればボク達の20歳前後はボンヤリしていたなあ」と笑った。
この頃である。ボク達は千葉県市川市から東京都内のA区に移住していた。ボク達がA区に移転するには、さまざまな理由がある。簡単にいえば仕事に便利、そしてマイの親戚が6世帯と多いことであった。最も信頼できるHN氏からの注文が次第に多くなったこともある。そのHN氏もA区であった。マイはHN氏とボクが親密になることが、ひどくうれしそうであった。マイの姉もA区だった。年齢を重ねると女性は兄弟姉妹の近くにいたいものだ。「もうこの町で(引越しは)終りにしよう」と思った。マイとボクが結婚して20年目のことである。
(つづく)
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