| 結婚恋愛「マイとボク」 -21- |
By 千里一歩さん
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昭和56年はこんなヘアスタイルが流行した。 |
マイの親戚HN氏の紹介で17歳の娘Hが勤めるようになった。これもまた「可愛いい!」とボク達の目の色は変わった。「子供がいなくても、こうした形での子供はいる」と思った。
Hは中学校を卒業したあと家庭の事情で友達のアパートに住んでいた。社会に出て働くのはボクの事務所がはじめてである。電話が鳴っても受話器をとれず「出て」といっても言葉が出ない。お客に「うん」と応える始末だった。それでも初日からボク達夫婦は「娘が出来た」と興奮気味。
自宅に帰ると「考え方を決めよう。このままではHを可愛がりすぎて仕事ができない。当然のことだが心を鬼にして一線を引こう。むしろ少し厳しくして仕事ができるように育てることが必要だ。本人のためだ。育て甲斐はあると思う。字がきれいだ。才能はある」とボクはメロメロになりそうなマイに歯止めをかけた。放っておけば仕事そっちのけになる。目に見えるようだった。
「そのかわり、またペットを飼っていい。但し猫でなく小鳥がいい」と誘導した。マイは「私もそう思う。わかる」と応える。が、どこまで自制できるか。マイは早速「あしたはSちゃんに服をあげよう」と目を輝かせていた。歯止めしなければ毎日、服を買い与えかねない。「子供を育てることは、もっとシビアで大変なことだよ」とマイにもやんわりブレーキをかけた。
忙しい時は外注に出したり、臨時雇いを頼むことはある。が、慣れるまでその都度1から教えていかなくてはいけない。たとえば取引先と往復する道もその都度、地図を書いて教えなくてはいけない。Hにタイプを覚えさせればマイの過労をいくらか、やわらげることにもなる。
もともとボクの仕事は理屈が多い。事業の規模が小さいのに、おつきあいする人達は、みんな社会的に有力な人達が多い。その歩調に合わせるためには神経を使うことが多い。自慢になるが零細企業なのに大企業と競う能力を持っていた。財閥系のM銀行の部長や課長が事務所を訪れてボクの実態が想像したよりおそまつであるとわかっても決して態度を変えることはなかった。
Hが就職するとラクになるどころかマイの気苦労はふえるばかりであった。慣れない新人を指導するのは新しい仕事が増えるということである。マイはタイピストということもあり、この頃からひどく肩が凝るようになり、月に2回は神田の鍼灸師や医師に通った。また少しでも体調が悪いと交代で医者に通った。ボクは一日の80本のタバコを吸い、マイは40本のタバコだけでなく、日本酒を昼間からボクに内緒で飲むようになっていた。
(つづく)
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