
昭和57年秋、山梨・塩山の旅館で。川は笛吹川。

笛吹川沿いにあった茶屋。 |
子供をつるべきか。どうか悩んでいるうちにマイも40歳をすぎた。まわりの人からも「子供はつくらないのですか」といわれてきたが「子供は要りません」と答えることが多くなった。ボク達は二人で1日1日を楽しく過ごそうという考えで一致していた。マイの本心は「本当は欲しいけれど安心して産める状態ではない」ということであったかも知れないが。
いまにして思えば、子供を持とうと思えば持てたと思うし、生まれたら、それなりに苦労しても子育てしたかも知れない。だが子供については二人とも妙に一致した考えがあった。それは生い立ちにもある。マイの実母はマイを生んで1週間ほどで他界した。出産3日目に姑から「いつまで寝てる。2日目から働く嫁がいるというのに」といわれた。「ようし!」と起き上がって畑に出たが、そのまま畑の中で倒れて死んだ。農家の嫁は長生きしないのだ。その恐怖感が潜在的にある。東京生活で、そのような心配はないのだが、兄弟姉妹が多い中で育ったマイは、孤独な少女時代をおくった思いがある。それに、もう出産期はすぎた。
ボクとは夫婦というより戦友である。ボクは妹がいたが二歳で死んだ。母は子宮に障害を持ち新たに子供は産めなくなっていた。いらい一人息子として生きてきた。少年時代から戦前戦後の混乱期を過ごし家庭的にも悩みが多かった。一つは被爆の後遺症がいつ発症するかわからないという恐怖心がある。太っていても貧血することがあるのだ。
そうしたボクにとってマイとの出会い、生活はユメのようであった。この二人の生活を大切にしなければという思いが強い。子供より自分達の幸せが先であった。老人になって資産があれば不幸な子供を引き取ればよい。それに子供を当てにした生き方はしたくない。子供に負担をかけたくない。また子供がいても、その子の人生は自分達とは別である。子供が苦労したり不幸になったらやりきれない。
日本社会の明日にも不安が多い。というより編集という仕事を通して世の中の裏を見ることが多く社会への不信感がある。こんな夫婦がいてもよいだろう。などとマイとボクの意見は合うのである。世間から見れば一般の常識とは少し異次元かも知れない。しかし、これがボク達の偽わらざる心境といってよかった。
義兄家族を熱海へ招待したのを機会に、ボク達は新婚旅行をしていないことに気付いた。新婚時代から二人はいろんなところへ行っている。主なところでは京都、大阪、宝塚、奈良、長崎がある。しかしその半分は仕事であり、誰かと会うためであった。「一度ゆったりとした気分で二人だけの旅行がしたい」という。しかし少ない予算で満足感があるとなると、やはり山梨しかない。マイの故郷に近い。
調べた結果、山梨市三富川浦にある山県館に行ってみようということになった。この旅館は中央線塩山駅からタクシーで20分。「信玄の隠し湯」「薬師の湯」で知られる山間の大きな旅館である。地元では有名な旅館だ。川中島の戦いで傷病した兵を治療するため武田信玄が恵林寺の住職に命じて永禄4年、温泉を開発したのがはじまりといわれる。施設は武田信玄の側近、山縣三郎右兵衛尉昌景が管理したようで現在はその子孫が経営している。
マイは得意げに説明する。「そこに決めよう」と実行した。山県館は100%たれ流しの天然温泉だが眼下の笛吹川を流れる山水の音が、夜もこんなに激しいとは思わなかった。ボク達は御所の間に泊まった。皇太子殿下(現・天皇陛下)がお泊まりになった部屋だという。周辺を散歩した。この旅館のまわりは何もないが、少し下流の川沿いに小さな茶屋があった。名前は忘れたが、ここで食べた石焼き猪豚の味は忘れることができない。(写真下)想像したよりおいしかったのは浮世離れした緑色の澄んだ空気が立ち込めていたから、なのかも知れない。それに「笛吹川」という川の名称が魅力的であった。この川は富士川と交差しマイの生まれ住んだ町の下を流れている。いつか「笛吹川」という小説を書きたいと思った。もし実現すれば、それがボク達の子供だと思うことにした。いまだに実現していないが。
(つづく)
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