| 結婚恋愛「マイとボク」 -15- |
By 千里一歩さん
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昭和56年、ホテルニューアカオにて |
大きな仕事が入り少し売り上げを伸ばした。マイと相談して義兄家族を熱海に招待しようと決めた。
義兄とは最初から深い縁がある。マイがはじめて「結婚する」と新宿から電話した時「東京で悪い男に騙されている」と義父とともに新宿にかけつけたのは義兄だった。ボクが山梨へ挨拶に行った時マイに「早く別れろ」と迫ったのも義兄だった。ボク達が関西へ行った時、三歳の娘を連れて訪ねてきてくれたのも義兄だった。関西で事業に失敗し1か月間実家に居候した時はあたたかく見守ってくれた。あまりいい形ではないが、そうした出来事はボク達夫婦には忘れられない青春でもある。
助けてくれた人を忘れない。いつかは恩返ししなければいけないと思い続けていた。恩返しといえば自分がすっかり落ち着いた時にするものだが、それを待っていたら相手は死んでしまう。現に呼ぶべき義父、義母はもう他界していた。その意味も含んで、義姉、姪も熱海のニューアカオホテルへ招待した。この時の義姉については、ボク達夫婦がある役割りを果たしていた。
義兄は実家の長になっていた。義兄は三男である。長男は戦時中、海軍に入隊して戦艦大和に乗務、曹長として戦死した。次男も陸軍に入隊したが病死した。三男の義兄は、次男が残した妻と結婚し娘二人を引き取った。結婚後は実子も儲けた。マイの姪である。戦後では日本各地でこのような例が多い。ところが義兄の妻は数年後、他界した。娘三人かかえて鉄工所を自営。父の葬儀をすませたあと娘達が成長して行方が見えるようになると孤独感に襲われた。20代に恋愛経験はあるが結婚には至らない。自分で結婚相手を捜すという器用なマネもできない。結婚相談所を訪れた。そこのファイルにBさんの資料があった。Bさんは5歳年上だが結婚暦はない。知的な感じがよいと思った。直接会うようになりアタックするが、なかなかよい返事がない。
そこで千葉県市川市に住む妹夫婦、つまりボクとマイの自宅に連れて行き、そこで1泊することになった。ボク達は大歓迎した。寝る時は6畳1間を提供した。義兄は帰路「結婚してくれなければこのまま自動車で心中する」と迫り、ついに陥落させた。義姉となったBさんは「マイさん夫婦が、あまり仲がよいので、いいなと思った。市川で泊まらなければ結婚はしなかった」と語っている。
確かにボク達は義兄から「何とか落としたい。よろしく」と頼まれたから精一杯接待した。このように義兄の役に立つことができるのは本当にうれしかった。マイは兄が好きだ。子供の頃から「マイが一番可哀想だ」と可愛いがってくれた兄である。部屋を掃除し朝から献立を考え「兄ちゃん」を迎えた。兄に対するマイの最も幸せな1日となった。
あらためて義兄家族を招待したのが熱海だ。義兄が新しい夫婦生活をはじめた頃であった。熱海では、お互いに気がねなくすごした。食事は一緒にするが、あとは別々の行動をとった。1泊したあと翌日、義兄達はマイカーで熱海周辺の観光地をめぐり、ボク達は二人だけで新幹線に乗って帰った。
東京駅へ向かう列車の中でマイが「ご苦労さん。悪かったね。ありがとね」という。ボクはあわてた。「何をいう。当然のことをしたまでさ。こっちも楽しんだし、お前に礼をいわれると困る」と答えた。照れくさかった。
その後、義兄とはきわめて親しくなり、お互いに事業に関する協力を交わした。たとえば株式会社を設立する時は役員になってもらった。利益が出れば配当を出すつもりである。東京で鉄工建築の営業をしようかと考えたこともある。その義兄は平成10年1月16日、肝臓ガン、肺ガンを併発して他界した。享年71歳だった。
(つづく)
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