| 結婚恋愛「マイとボク」 -14- |
By 千里一歩さん
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昭和56年、神田事務所にて
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結婚して約20年間は「夫婦二人で屋台でも引いて商売したい」というのが念願だった。これは誰にも気を使わないで1日中一緒にいられるという思いもある。ところが二人で事務所を持つようになると思わぬ変化が生まれた。次第にマンネリ化したのである。
マイは「ああ、息がつまる」というようになった。こうしたストレスが、喫茶店通いで緩和されるのだが。めずらしく口喧嘩をしたことがある。
マイが反発するということは滅多にない。自宅では靴下まではかせてくれるし食事もボクの好みが中心。どんなに苦労している時でも他人の前ではボクを立ててくれる。だから原因は何だったか覚えていない。たぶん仕事のことでボクが威圧的な言動をしたのだと思う。マイにとってボクの仕事はまるで違う世界である。
フトコロに1銭もないのに天下国家を論じる男の気持ちがわからない。正義感をふりかざしても何の徳もない。偉そうなことを言う前に儲かることを考えたらどうだ。という不満がマグマのように腹にたまっていたそうだ。マイはタイプを一生懸命覚えているが文章や活字の世界はまったく無縁で生きてきた。
仕方なく亭主の道楽のような仕事を手伝っているという思いが強い。一緒に仕事をするということは縛られることだと思うようになったようだ。自分はほかに勤めたほうが収入は増えるとも考えている。そこへボクの八つ当たりである。プツンと糸が切れたらしい。「ボクは思いやりがない!」というのが口癖になってきた。
「食事は勝手にどうぞ。明日から事務所に来ない」と宣言したあとは本当に返事もしなくなった。ボクも仕事のことではストレスが多い。右肩上がりの経済というが、ボクらのところまで儲け話はまわってこない。それでも新聞に求人広告を出しフリーライターを30人ほど集め、出版社から、まとまったページを受注するというプロダクションをはじめたり、広告会社の嘱託、デザイン会社の嘱託もはじめた。早く社員の一人や二人雇えるようになりたい。試行錯誤で次第に出費も多くなっている。そのイライラはマイもわかってくれると思ったが間違いだった。船頭が愚痴れば乗る人は不安になる、と気がついた。しっかりしなければ。
困ったボクはBUBU以外の喫茶店で話そうと提案した。どこの喫茶店もインベーダーが置いてあった。
1日、事務所は閉めた。電話があっても放っておこう。神田は喫茶店が多い。3分ほど先にある、はじめての店に入った。大きな声で言い合うことはできない。静かに説得しなければならない。約3時間、話したあとボクが謝り、ようやく正常に戻した。
それ以来ボクはマイに対して絶対、無神経なことをいってはいけないと注意するようになった。怒ったら恐い。もし浮気をしたら包丁で刺さされるだろう。少女時代、鶏の首を切り落とし、蛇をつかまえてふりまわし、叩き殺した経験の持ち主なのだ。
テレビで萩本欽一の人気番組「欽ちゃんのどこまでやるの」があった。毎回、異なる女優が出演して夫婦の会話をする。夫がちょっと叱ると全体の照明が急に紫色になり「ああ私は何て不幸なの」とスポットライトを浴びる。次の瞬間、夫が「でも愛しているよ」といえば照明が明るくなり「私は何て幸せなんだろう」と手をひろげてオーバーに踊りまわる。場面が変わり、わらべの歌になる。「もしも明日が」がブレイクした。昭和の名曲の一つではないだろうか。
ボクは、この番組が好きで毎回必ず見た。マイには黙っているが、心ひそかに「マイもこの女優の役に似ているなあ」と、喫茶店で謝った時のことを思い出していた。以後、マイに叱られそうになった時は頭のなかで「もしも明日が、晴れならば、愛する人よ、そばにいて」と歌うことにしている。ボクのこういうところが「ノンキ者」とマイに白い目で見られるゆえんである。
(つづく)
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